「ナイトトレイン(3)」(2025年12月23日) エコノミー夜汽車の車内は真っ暗かもしれないと心配した記者は携帯ライトを持参したが、 それは杞憂だった。煌々と明るい照明は車内で眠る人々の姿を白日のように照らしだして いた。ただしトイレには照明がないために真っ暗。おまけに8両の客車の中で水の出ない トイレがひとつふたつあった。そんなトイレは激しい臭気のためにとても長居できるもの でない。 車内は少し暑く、うっすらと汗をかく。夜にオートバイで走れば寒いくらいなのに、客車 内はそうでなかった。ジャケットを着て列車に乗り込んだひとたちもジャケットを脱ぎ始 める。パサルスネンを発車したあとしばらくして、たいていの乗客は上着を脱ぎ、中には ランニングシャツ姿になった者もいる。床で寝ているひとりが座席で横になっている連れ に言った。「床の方が涼しいよ。」 汽車に乗るのはあまり快適じゃないと言うひとがいる。エアコンの効いた、まだ新しくて きれいな客車に座って旅をするのだけが快適なのだろうか。老朽化して汚れた客車に座る エコノミー列車の旅は政府が補助金を付けているから、エグゼクティブクラスの乗車料金 よりも大幅に廉い。廉かろう悪かろうということでなく、エコノミーにはエコノミーの良 さがある。 贅沢さを愉しむために、人間は他人よりたくさん金を稼がなければならなくなった。その ためにしばしば他人と角突き合わせ、他人を陥れ、いかに他人から金を巻き上げるかとい う戦略三昧が人生のマジョリティを占める人間が増加した。かれらは往々にして成功者と 呼ばれ、世間の賞賛と憧憬を一身に浴びて墓穴に入る。 一方、世の中には金銭の嫌いな人間がいる。かれらはたくさん金を得ようとして自分の人 生の時間をチャリウアン(金稼ぎ)に費やすようなことを避け、少ない収入に応じて支出 を極力切り詰め、自分の人生の時間を自分のしたいことに費やしている。エコノミー列車 はかれらのためにも存在しているのだ。 エグゼクティブクラスの列車に乗ると、途端にひとはよそよそしくなり、行儀良くなる。 隣に座った赤の他人と打ち解けることをしなくなり、言葉を交わしてもせいぜい社交辞令 の程度。座席に座っても姿勢は堅苦しく、脚を前方に伸ばす程度で別の方向に動かしたり しない。食べ物を頼んでも一人前で、食べる前に左右のひとにうなずくだけ。「皆さんに お分けしないで失礼しますよ、わたしひとりが食べますよ。」という承認を求めるしぐさ がそれ。 エコノミー列車であれば、われわれは自由この上なく振舞う。座る姿勢も自由で、脚をど こへ持って行こうがお構いなし。椅子に座っているのに倦んだら、ゴザでも新聞紙でも対 面座席の間の床に敷いて横になる。座るシートが確保できなかったひとも遠慮などしない。 通路に横たわって身体を伸ばすのだ。そこにはもちろんリスクもある。物売りや他の乗客 が熱い飲み物を手にしてやってきたとき、寝ている者をまたいで通ろうとする。そんなと きに何かのはずみで客車がガタンと揺れたり、あるいは機関士が急ブレーキをかけたりし たらさあ大変。 もし自分の近くの席に座った相客が博愛主義者であれば、こんなにうれしいことはない。 相客が自分のバッグの中から食べ物を取り出すとナシティンブルが出て来る。いやそれだ けじゃない。ゆで卵や塩魚などのおかずも次々に。質素な暮らしをしている一般庶民はた いてい分かち合いが習慣になっているから、余分にあれば必ず周囲のひとにそれを勧める。 お返しをするひともあれば、もらいっぱなしの人もいる。その場ではもらいっぱなしであ っても恥じることはない。自分ができる時に、別の人にお返しすればよいのだ。[ 続く ]