「インドネシア鉄道史(79)」(2025年12月28日) 2015年11月19日、東カリマンタン州北プナジャムパセル県のブルニヌン工業団地 でジョコ・ウィドド大統領が鉄道建設工事の起工式を行った。カリマンタンで初めての鉄 道事業になるこのプロジェクトはロシア政府が投資するもので、ロシア側はロシア国有鉄 道会社が投資者になり、東カリマンタン州庁との合弁で設立したPT Kereta Api Borneoが この事業を行う形式が踏まれた。 当初は貨物専用鉄道路線としてスタートし、石炭や木材・ゴム・パーム椰子とその加工品 などの農林産物を商業輸送することから開始して、追々客車の運行路線を設ける計画にな っていた。 路線のルートは南路線がブルニヌンと西クタイを結ぶ203KMのルート、北路線はクタイ カルタヌガラ県タバンと東クタイ県マロイバトゥタ・トランスカリマンタン経済特別区を つなぐ195KMのルートになっている。この鉄道運行事業を担当する職員候補生50人が ロシア側の費用で教育実習のためにロシアへ渡航した。 東カリマンタン州知事はスカルノ大統領時代の1965年にロシアの援助で道路建設が行 われた故事を引き合いに出し、再びロシアと共同で輸送インフラ建設が行えることをたい へん喜んでいると述べている。 クレタアピボルネオ社取締役社長によれば、最初に建設される貨物路線は乗客列車用路線 と異なるもので、乗客用の線路工事はまた別に行われるとのことだ。 政府国鉄側はトランスカリマンタン鉄道の構想を持っており、クレタアピボルネオの路線 がトランスカリマンタンの一部に含まれる形になったとしても当社には何の異論もない、 と取締役社長は言明した。 ところが2022年3月4日に投資者側がそのプロジェクトの取り消しを表明したのであ る。カリマンタン初の商業鉄道路線建設はまた振り出しに戻ってしまった。現在中央政府 鉄道行政部門に掛かっている話題はトランスボルネオ鉄道の話だ。クレタアピボルネオで はない。 ブルネイの事業者が立てた構想がそれで、これはサラワク〜サバ〜ブルネイ〜インドネシ アのカリマンタン地方を走る国際高速鉄道の企画だそうだ。 クレタアピボルネオがインドネシアのカリマンタンに設立された初めての鉄道会社だから、 カリマンタンに鉄道線路が敷かれたことが一度もなかったと誤解してはいけない。オラン ダ時代に農林産物や鉱物資源を内陸部から港に運ぶロリー線路は南カリマンタンやサマリ ンダあるいはトゥンガロンに設けられていた。それらは資源開発を行う企業が自家用とし て設けたものであり、商業用ではなかった。カリマンタンで初めてというのは商業用鉄道 としてという意味だ。 植民地時代に東インド政庁はカリマンタンでの鉄道事業を検討し、現場サーベイまで行っ た。鉄道運行の目的は内陸部に産する物産と資源を港に輸送することであり、その本質は ジャワやスマトラと同じものだった。カリマンタンが無視されていたのでは決してない。 南カリマンタンではバンジャルマシンに近いプガロンやプラウラウッの石炭輸送に関する 調査が行われた。それらの炭鉱では1888年から採鉱会社がロリーを使って石炭を輸送 していた。東カリマンタンでは1908年にバリッパパンの製油所から港に石油を送るこ とが検討された。西カリマンタンではゴムの輸送のためにポンティアナッ〜サンバス間の 線路敷設が1920年代半ばごろ検討された。 しかしそれらのすべてがひとつも実現されなかった。地形の困難さは技術面だけでなく費 用の面にも影響をもたらす。投資金額が莫大になればリターンへの期待が膨らむ。そのバ ランスがポジティブでなければ、民間資本はそっぽを向くだろう。スマトラを見てみるが いい。ジャワにはあれほど多数の民営鉄道会社が興ったというのに、スマトラではデリの 農園主たち以外に鉄道事業を行おうとする事業家がひとりもいなかった。[ 続く ]