「インドネシア鉄道史(80)」(2025年12月29日)

オランダ東インドの鉄道史が民間資本の鉄道会社NISによって開始され、スマラン〜フォ
ルステンランデン線が1872年から、バタヴィア〜バイテンゾルフ線が1873年から
商業運行を開始したあと、鉄道網の拡張を望んだ東インド政庁はNISの事業拡大を期待し
た。ところが事業資金のバランス維持に青息吐息になっていたNISがその期待に応じられ
るわけがない。民間資本の限界を覚った政庁上層部は国有事業をこのセクターに混入させ
ることを決意し、こうして東インド植民地を所轄領域にするオランダ王国の国有鉄道会社
が1875年4月6日に設立された。

Staatsspoorwegen (SS)と通常呼ばれているこの会社は東インド政庁組織内の一部門とし
て設けられ、部門長はオランダ東インド総督に直接の責任を負うポジションに置かれた。
公式名称はStaatsspoor en Tramwegenであり、SSは短縮形の略称ということになる。

オランダ本国にはMaatschappij tot Exploitatie van Staatssporwegen (MtEvSS)という
本国域内を所轄にする国有鉄道会社がそれとは別に存在している。


1888年3月1日、SSは公共土木事業局Burgerlijke Openbare Werkenの中に編入され
た。民間資本が行っている東インド植民地内の鉄道事業はすべて鉄道行政部門としての
SSの監督下に置かれた。その間、BOW監察局長の業務機構内に場を占めていたSSは190
9年7月1日に国有事業体局Gouvernements Bedrijvenに移管されてGB監察局長の統率下
に移されたのである。

1920年代にオランダ東インドの首都をバタヴィアからバンドゥンに移転することが決
まり、バタヴィアにあった行政機構をすべてバンドゥンに移す計画が組まれたことからそ
れに従って国有事業体局も1923年にバンドゥンに移転した。バンドゥン鉄道駅の東側
を流れているチカプンドゥン川からほど近い、現在のプリンティスクムルデカアン通りに
豪壮なSS本部が建設されて、そこがSSの本部になった。

ところがオランダ本国議会がその移転計画をいつまで経っても承認しなかったためにその
動きは腰砕けになり、早まってバンドゥンに移転した部門は見捨てられた先駆けになって
しまった。なにしろ植民地軍総司令部も先駆けのひとりだったのだから、その運命を悔や
んだ者は少なかったのではないかとわたしは想像している。

1924年にはSSの部門内で担当地域の分割が行われ、西部・中部・東部の三部門体制に
変化した。オランダ東インドの鉄道システムのすべてを掌握していたSSはその責務を果た
すために事業運営に問題を抱えてしまった民営鉄道会社を買収した。
1898年8月4日 BOSからバタヴィア〜カラワン線を買収
1913年6月20日 NISからバタヴィア〜バイテンゾルフ線を買収
1916年12月1日 BDSMからジョンバン〜ババッ線を買収
1918年11月1日 KSMからジョンバン〜クディリ線を買収
[ 続く ]