「労働蔑視(2)」(2026年03月02日)

だったら事業主たちはその日、会社を休みにするのか?従業員を出勤させないようにして
しまうと工業団地に設けられた投票所は真っ白けになり、あたかもその工場が投票を妨害
しているような批判が出されかねない。会社工場は従業員を休日出勤させなければ政府の
要請と期待に沿うことができないのだ。そうして個々の従業員は投票という国家的義務を
会社業務の一環として果たし、そのご褒美に休日出勤手当が与えられるのである。

従業員は仕事があるから会社や工場に出勤するのだ。会社工場を休みにしてしまえば投票
率はガタ落ちるだろう。会社工場が出勤してきた従業員を投票所に行くよう業務上の指示
を与えることで、実業界は政府行政に協力する形を示すことができる。インドネシアの資
本主義が資本家のエゴイズムを否定し、資本主義行動に社会性を実に巧妙に注入している
事例がこの一件からもうかがえるのではあるまいか。

政府が催行しているJamsostek勤労者社会保障制度は制度加入者の国民投票行為を保障の
対象にしている。会社がらみで選挙投票という国家義務を勤め人たちが遂行する仕組みが
出来上がっているのである。総選挙の投票が投票仕事であるという点で首尾一貫している
ではないか。


インドネシアに関して、上で休日として数えられた日数の中に政府が定めるcuti bersama
というものがある。インドネシアの労働法の中に年次有給休暇の規定が定められていて、
年次有給休暇はイ_ア語でcuti tahunanという術語になっている。だから会社勤めをして
いるインドネシア人にとってチュティという言葉は有給休暇を意味するのが普通の理解に
なっている。

一方、勤め人でないインドネシア人にとってチュティというのは、仕事場や学校などの、
そこへ行く義務を負わされているひとが公然と義務を免除される日という理解になってい
るようだ。

政府が定めるチュティブルサマという言葉の解釈については、これは逐語訳すれば「みん
なで一緒に取る休暇」という意味になるのだろうが、政府はその定義を国語辞典の語義に
従わないで自分で定めることができるのである。わたしがこれを「公務員一斉休暇」と日
本語訳しているのは、この制度が開始された時期に読んだ諸解説から判断したものであり、
昨今の政府の定義はその時の内容から少し異なるものに変化したように思われる。

この制度は知恵者ユスフ・カラ氏が国民福祉統括大臣を務めた時期に定められたものであ
り、確か2003年から開始されたと思う。この制度は国民の休日を増やすために考案さ
れたのでなく、公務員の有給休暇消化がひどい状態にあったため、強制的に有休消化を行
わせるための方策として開始されたものだったと発案者は語っている。

折から2002年のバリ爆弾テロ事件の直後で観光地バリに観光客が来なくなり、バリの
経済が崩壊しかかっている時期であったことから、政府は公務員に有休を取らせて観光旅
行をするよう誘導するのを目的にしてその制度を開始した。最初の年はチュティブルサマ
が3日だけだったから、公務員の年次有給休暇の権利である年間12日のうちの3日がこ
の制度によって自動的に消化されることになった。

行政側の主旨はそういうことであり、決して国民に休みを命じる意図はなかったとユスフ
・カラは後に語っている。しかしこの制度が開始されたときにそういう歯切れのよい主旨
解説は一切世間に流されず、あたかも政府が国民に休日を増やすように命じている印象を
与える話が諸所に満ち、外国系企業駐在員の多くもその印象に呑まれて政府が国民を仕事
しないように誘導していると見なす見解がマジョリティを占めているようにわたしには見
えた。そんな状況下に行われた労使交渉で企業側が一杯食わされることが起こらなかった
はずはないとわたしは今でも思っている。[ 続く ]