「ムダン王国(2)」(2026年04月08日)

王都があちこちに移された歴史をムダン王国は持っている。創建者のサンジャヤはブミマ
タラムに王宮を置いた。そこは現在のヨグヤカルタ州西北部あるいはマグラン地方だと考
えられている。
Bhumi Mataram  サンジャヤ王期  マグラン/ジョクジャ
Mamratipura  ラカイピカタン王期  クドゥ
Poh Pitu  ディヤバリトゥン王期  クドゥ
Bhumi Mataram  ディヤワワ王期  マグラン/ジョクジャ
Tamwlang  ンプシンドッ王期  ジョンバン
Watugaluh  ンプシンドッ王期  ジョンバン
Wwatan  ダルマワンサトゥグ王期  マディウン

第17代のディヤワワ王の時代に王都がブミマタラムに戻されたところ、ムラピ火山が大
噴火を起こして王都マタラムを壊滅させた。後継者のンプシンドッが王国の民を率いて東
ジャワへの大移動を行い、タムランに新都を定めたという説が一般的だ。タムランという
地名は現在のTembelangだとされている。ンプシンドッ王はしばらくしてからもっと優れ
た土地を見つけたのだろう、都をさらにワトゥガルに移した。ワトゥガルは現在Megaluh
という地名になっているそうだ。

そしてムダン王国最後の王であるダルマワンサトゥグが都を西のマタラムの地に近いマデ
ィウンに遷都したあと、北にあるムダン王国領Wurawariの領主の反乱で王国が滅びた。ウ
ワタンは現在Wotanという地名になっており、またウラワリは今のブロラ地方とされてい
る。


ムダン王国は8世紀末から9世紀半ばにかけての時代に繁栄の頂点をきわめたと考えられ
ている。その繁栄期をラカイパナンカランからディヤバリトゥンまでの一世紀半と捉えて
いる歴史学者もいる。

水田耕作を主体にする純粋農業立国として始まったムダン王国は生産物の余剰が得られる
ようになると海の向こうへの通商を開始し、農業と交易が国の繁栄を支える重要な産業に
なっていった。国が富むことによって文化と学術への意欲が高まり、中でも建造物を作る
ことに関連して建築技術と装飾芸術に進歩が起こった。その目覚ましい成果を、われわれ
はジャワ島に建てられた莫大な数のチャンディに見ることができる。

今のヨグヤカルタ特別州と中部ジャワ州にまたがるケウKewu平原一帯を指すマタラムとい
う名の地域にチャンディが集中しているのは、その関係を明瞭に示している現象と言える
にちがいあるまい。

通商という面に着目するなら、内陸のブミマタラムに王都を置いたムダン王国は大河ブガ
ワンソロによる河川交通によって北海岸部に物資を輸送し、ジャワ海を越えてあちこちに
農産物を運び、各地の産品や文物を持ち帰って来た。ディヤワワ王の時代に火山噴火で王
都が壊滅したとき、王国のセンターを移すに当たって王国の産業が継続できる土地という
のが遷都先の条件になったことは大いに推察される。

その観点から、王都マタラムの移転はもっと違う場所にもっと頻繁になされていたと説く
歴史学者もいる。そしてこの説によれば王都の名称がムダンであってマタラムは国名であ
り、今もムダンという地名がバグレン・グロボガン・ブロラ・マディウンなどに遺されて
いることをその根拠のひとつとして挙げている。

火山の噴火で壊滅したとされている王都、中部ジャワのジョクジャ〜マグランにあったブ
ミマタラム、から東ジャワのジョンバンへの遷都を行った言われているンプシンドッは、
マランからスラバヤにかけての一帯の支配者だったという解説も見られる。

古代内陸部の交通ルートが河川であったことから、ブランタス川でつながっていたクディ
リ〜ジョンバン〜モジョクルト〜スラバヤ/シドアルジョ一帯がひとつの政治経済圏を構
成していたことは大いに納得できる話だ。[ 続く ]