「ムダン王国(1)」(2026年04月07日) マグランの南西にあるGunung Wukirと呼ばれるチャンディで発見された、西暦紀元732 年を示す記載のあるチャンガル碑文によれば、「かつてサンナ王に統治されていたジャワ に分裂が起こってサンナ王が没し、王の姉妹であるサンナハの息子サンジャヤが後を継い だ。サンジャヤの命によってリンガが建立された。」と記されている。歴史学界はその碑 文をサンジャヤの王位継承宣言と見なしている。 サンジャヤは自らをマタラムの支配者サンジャヤ大王Rakai Mataram Sang Ratu Sanjaya と称した。マタラムはサンスクリット語で母を意味するそうだ。地名としてのマタラムは 今のヨグヤカルタ特別州と中部ジャワ州にまたがるケウKewu平原(プランバナン平原とも 呼ばれる)一帯を指して使われてきたものだ。古代に建てられたチャンディはその地方に 集中している。ムダン王国が建立したチャンディの代表格としてカラサン、セウ、ボロブ ドゥル、プランバナンなどが挙げられる。 サンジャヤ自身はムダンMedangという王国名を使わなかったが、後にこの王国が中部ジャ ワから東ジャワに移転し、東ジャワで作られた碑文にムダンという王国名が出て来る中で、 中部ジャワ時代の王にもムダンという言葉が付されていることから、中部ジャワ時代から 王国名がムダンだったとの考え方が今では有力になっている。 しかしムダンを東ジャワ時代に限定して考える歴史家もいて、その場合に中部ジャワの王 国は古マタラム王国という名前で呼ばれて区別されることになる。ただし王統譜が一貫し ていると考えられているために、サンジャヤ以来の王国をムダンと呼ぶ方が一般的なよう だ。イ_ア語ウィキペディアもその考え方に従っている。 この王国は732年から1016年まで継続し、支配下にあった地方領主の謀反で滅びた。 1019年に王統の系譜を継ぐアイルランガ王が王国を再興して王権が引き継がれること になる。アイルランガの王国はカフリパンという名称であり、ムダンという名称が王国の 滅亡と共に廃されたのは、サンジャヤの新王国設立の時と似通っている。 ムダン王国の王統譜は次の通り。(数字は在位年) 1. Sanjaya (732-746) 2. Rakai Panangkaran 別名 Dyah Pancapana (746-784) 3. Rakai Penunggalan 別名 Daranindra (784-803) 4. Rakai Warak 別名 Dyah Manara (803-827) 5. Dyah Gula (827-828) 6. Rakai Garung 別名 Samaratungga (828-847) 7. Rakai Pikatan 別名 Dyah Saladu (847-855) 8. Rakai Kayuwangi 別名 Dyah Lokapala (855-885) 9. Dyah Tagwas (885-885) 10. Rakai Panumwangan 別名 Dyah Dewandra (885-887) 11. Rakai Gurunwangi 別名 Dyah Bhadra (887-887) 12. Rakai Watuhumalang 別名 Dyah Jebang (894-898) 13. Rakai Watukura 別名 Dyah Balitung (898-910) 14. Dyah Daksottama 別名 Mpu Daksa (910-919) 15. Rakai Layang 別名 Dyah Tulodong (919-924) 16. Sri Maharaja Pu Wagiswara (924-927) 17. Rakai Sumba 別名 Dyah Wawa (927-929) 18. Rakai Mahamantri Hino 別名 Mpu Sindok (929-947) 19. Sri Isanatunggawijaya(おくり名)(947-985) 20. Makuthawangsawardhana(おくり名)(985-990) 21. Apanji Wijayamrtawarddhana 別名 Dharmawangsa Teguh (990-1016) [ 続く ]