「ムダン王国(5)」(2026年04月11日) ムダン王国時代の929年にンプシンドッ王が王都を東ジャワに移して以来、上に述べた ヒンドゥブッダ王朝は東ジャワに王都を置き続けた。その後、ジャワ島のイスラム化が中 部ジャワで進展し、ジャワ島がイスラム王権によって統一されたとき、王都が中部ジャワ に戻ったという現象をわれわれはジャワ島の歴史の中に見ることになる。 イスラム王権が北海岸部のドゥマッから内陸のパジャンそして最終的にパヌンバハン セ ノパティのマタラム王国へと移動して行ったありさまは、なにやらサンジャヤ大王の歩み を彷彿とさせてくれる気がしないでもない。 ジャワ島のチャンディ研究家たちは、中部ジャワのチャンディと東ジャワのチャンディの 間に顕著な違いが見られることを指摘している。特に建築様式という外見的な面の差が明 白であるため、一般学習者にもわかりやすいものであるようだ。西暦1千年ごろを境にし て王都が中部ジャワから東ジャワに移り、8世紀前半に始まった中部ジャワ時代の250 年間と16世紀前半に幕を閉じた東ジャワ時代の500年間というクロノロジー枠は把握 しやすい時代背景をもたらしてくれる。 ジャワのチャンディはスマトラやバリにも波及した。スマトラやバリに見られるチャンデ ィはたいていが東ジャワ様式になっている。中部ジャワ様式と東ジャワ様式の違いは次の ように説明されている。((1)中部ジャワ様式 (2)東ジャワ様式) ≪建物形状≫ (1)太目 (2)細目で背が高い ≪屋根≫ (1)三層の階段状 (2)細かい段が滑らかにつながってひとつの曲線を見せており、見た目に背の高い印象を 与えている ≪マスタカ(塔頂部)≫ (1)仏教チャンディはストゥ−パ、ヒンドゥ教チャンディは疑似リンガムや宝石 (2)仏教チャンディは筒型ダゴバ、ヒンドゥ教チャンディは立方体 ≪入り口枠とペディメント≫ (1)カラのニタリ笑い顔(顎なし)とマカラがつながったもの (2)カラのニタリ笑い顔(顎あり)、マカラはない ≪レリーフ≫ (1)自然派彫刻風デザインで深彫り (2)バリワヤン風デザインで浅彫り ≪脚/壇≫ (1)低い壇と高い壇が明白に分けられ、脚部と堂の間に壇上部平面の余地が十分設けられ ている (2)脚部は多層壇になっており、脚部から堂へも外見的にスムースなつながり方をしてい る。そのため脚部の上部平面外縁と堂が近い位置関係になり、壇上部平面の余地は狭い。 しかしマジャパヒッ末期のチャンディは脚部と堂の関係が昔帰りを起こしており、壇上部 平面の余地が広くなっている。壇というものへの宗教的意味合いが認識しなおされたこと がそこに示されているのかもしれない。 ≪主館の位置≫ (1)一点集中型・対照型・形式型マンダラ。主館は敷地内中央に位置し、その周囲を子館 が整然と取り囲んでいる (2)線形・非対称型で敷地のトポグラフィに従う。主館は入り口からもっとも奥に位置し、 たいてい敷地内の一番高い場所に設けられる。子館がその前面に配置される。 ≪方角≫ (1)東向きが多い (2)西向きが多い ≪建築素材≫ (1)安山岩が多い (2)赤レンガが多い 言うまでもなくそれらの特徴は傾向について述べているのであって、例外が山のようにあ ることをわれわれは弁えなければならないだろう。[ 続く ]