「独立宣言前夜(9)」(2016年08月26日)

軍事教練で医科大学生が隊列行進を行っているとき、強い雨が降って来た。学生たちはて
んでに雨宿りの場所を求めて散り散りになる。それを見て日本人指導官が激怒した。その
ときに起こったいくつかのシーンが語られている。ひとつは日本人が数人の学生を殴った
というものだが、別の話は殴ろうとした日本人の手をかわして学生の方が日本人を殴り、
他の学生がそれに加勢したというもの。

ともあれこのころには、日本人が他人を殴る民族であるということはインドネシア人の間
の常識になっており、おまけに理由も言わずに殴るということがインドネシア人には驚き
だったようだ。オランダ人は相手が悪い点をくどくどと説明した上で殴るが、日本人はも
のも言わずにすぐ手をあげる、という比較論がインドネシア人の間に流通した。「自分の
どこが悪かったのかを、自分で考えろ。反省しろ。」というのが日本文化の中の下位者に
対する教導方法で、特に軍隊の中でそれが激しかったようだが、客観的に自分を見ること
が文化の中にまだ成育していない民族にそんなロジックは通じなかったし、おまけに暴力
が反省の契機に使われるのは西欧的文明観に反することでもある。

何も言わずに殴る、とインドネシア人は言ったが、少なくとも「バッキャロー」という怒
声は伴われたにちがいない。おかげで「bakero」という単語がインドネシア語になった。
もっと感情を込めて「bagero」と書く人もいる。

インドネシアの青年たちは、ふたたび卑賎扱いされたという感情を抱いた。日本軍政に対
する反抗意識は、丸刈り拒否学生たちに特に強かった。だが、かれらが何らかの行動を起
こす前に、憲兵隊がその事件に関わった学生たちを翌週ばらばらとまた留置場に放り込ん
だ。というのも、連合国側のラジオ放送がその事件を宣伝に使ったからだ。
「ジャカルタの学生たちが占領軍の支配に抵抗して立ち上がった。」というラジオニュー
スを傍受した日本軍は、連合軍諜報員が大学生を使って反日抵抗運動を展開しようとして
いる、と推測した。

憲兵隊留置場に放り込まれたのは、タジュルディン、エリ・スデウォ、カリムディン、ス
ワンディ、プティ・ムハルト、スダルポ、スロト・クント、ダアン・ヤヒヤ、サニョト、
スジャッモコ、ウタルヨ、スビアント、アブ・バカル・ルビスらの学生と、ウタマおよび
スバンドリオというふたりの教官だった。

その決定的な事件のおかげで、医科大学は9人の問題学生を放校処分にした。かれらが医
者になる道は閉ざされてしまった。スダルポ、スジャッモコ、サニョト、ダアン・ヤヒヤ、
スロト・クント、プティ・ムハルト、ウタルヨ、スビアント、プルウォコはそれぞれ新た
な道を探るべく動きはじめた。

スダルポとスジャッモコは自力で医者になろうと考え、先輩たちに教えを請うた。ダアン
・ヤヒヤとウタルヨは郷土防衛義勇軍PETAに入ろうとした。しかしPETAを指導す
る日本人がかれらの履歴を調べ、問題児の受け入れを拒否した。結局かれらはスカルノの
助力を求め、スカルノが保証したことでPETAに入ることができた。[ 続く ]


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