「独立宣言前夜(42)」(2016年10月17日)

西ガンビル通りのジャカルタ放送局でも、青年たちが独立のニュースをラジオ放送するべ
く、局内に潜入した。計画では、プガンサアンティムル通り56番地でスカルノが行うス
ピーチの声をラジオの電波に乗せることになっていた。10時を期してかれらは放送室に
侵入し、放送をスピーチの音声に切り替えるつもりだった。ところが10時になる前に日
本人将校が放送室に姿を現したのだ。青年たちの間で「失敗した。日本人に知れてしまっ
た。」という声があがり、青年たちは一斉に敷地の脇からタナアバンの部落へ逃げて行っ
た。表へ逃げなかったのは、日本軍装甲車2台と何人もの兵士が既に放送局の表を固めて
いたからだ。


しかし青年たちは諦めなかった。17日夜のニュースを担当するアナウンサーのユスフ・
ロノディプロは16時ごろ出勤した。夕方近くになって、同盟記者がひとり、二枚の紙を
かれに渡しに来た。一枚はアダム・マリッからの手紙で、もう一つの紙に書かれたニュー
スをラジオ放送の中に混ぜてくれという依頼。もう一枚の紙はスカルノとハッタのサイン
が見える独立宣言の全文だ。「どのように放送するかは君にまかせる。アダム・マリッ君
がよろしく言っていた。」そう告げて同盟記者は去った。

ユスフは知恵を絞った。放送局には、外国向け放送用のラジオ発信機が、今では埃をかぶ
って置かれたままになっている。かれは技術担当の青年たちに計画を話して、それを整備
してもらった。19時の国内向け放送が始まると、バフティアル・ルビスがニュースを読
み上げている間に、かれは外国向けラジオ発信機からインドネシア独立宣言のニュースを
流した。

放送室のスピーカーからはバフティアル・ルビスの声だけが流れており、日本人放送検閲
官はうなずきながら内容を監督していたが、検閲されている放送内容は局内でしか流され
ておらず、局外に向けた電波に乗っていたのがユスフ・ロノディプロの声であるとは夢に
も思わなかった。


ところがここへも1時間後に憲兵隊が謀反人をとらえるためにやってきた。アナウンサー
たちはひとりずつ呼ばれて鉄拳の洗礼を受けるはめになる。だれも、まとまな顔を残して
いない。バフティアル・ルビスは上歯がすべて脱落するほどだった。かれらを取調べた憲
兵はついに軍刀を抜き放つ。すると日本人放送局長がその場に割って入った。「日本は既
に降伏している。今私的な処刑を行えば犯罪に問われる。かれらの罪状を糾明した上で裁
判にかけなければならない。」
あのとき、自分の一生はこれで終わったと思った、とユスフ・ロノディプロはそのときの
ことを回想している。


放送局の外にいた日本人はみんな、その夜の放送を聞いており、放送内容を監督すべき検
閲官だけがそれを知らなかったということになる。憲兵隊の精神棒注入のお鉢は検閲官に
も回された。

この放送は国内の隅々にまで届いたばかりか、国外でもあちこちで受信された。連合軍東
南アジア司令部ももちろんそれを傍受している。総司令官のマウントバッテン卿はその情
報を知らされ、「ジャカルタの民衆は日本の支配下から離れて自分の国を作ったようだ。」
とコメントした。[ 続く ]


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