「レープは普通で当たり前のこと(2)」(2017年02月02日)

この要素のゆえに、被害者が処女と非処女では加害者に与えられる刑罰の軽重に違いが出
てくる。本来的に、イスラム社会で娘は資産であり、娘に虫がつかないことで資産価値が
保全されるという面がある。娘を傷ものにするのは資産価値を崩壊させることと同質であ
り、それは人倫上の犯罪以上に経済犯罪に該当する。経済価値を崩壊させた犯人は、既に
経済価値を持たない女性をレープするより重い罰が与えられて当然というのは、きわめて
論理的だと言えよう。

この処女問題は、被害者の婚姻歴や被害時の検診報告だけでなく、被害者の家庭がどれほ
ど性的に潔癖であるかどうか、という点まで含められて斟酌される。親が性的にふしだら
であるという情報や証言が出てくれば、女性被害者を見る目にはたちまち色眼鏡がかけら
れてしまう。

法廷でそのような傾斜が起こり、被害者と加害者の家庭同士がふたりを結婚させる方向に
示談が進めば、裁判は中途で停止してしまう。元々これは刑法犯罪ではなかったのだろう
か?


法廷審議が完了して判事団が下す判決はどうだろうか?裁判監視ソサエティが283件の
判例を調査したところ、刑法典第289条が適用された事件で加害者に与えられた刑罰は
平均51ヵ月(4年3ヵ月)の入獄で、最高が9年の入獄だった。一方、刑法典第285
条適用事件は平均5年3ヵ月の入獄で、検察公訴人からの平均6年6ヵ月の入獄という求
刑は、割り引かれているのが普通だ。

それを見る限り、判事は求刑より軽い判決を加害者に与えているのである。検事の求刑が
軽いことに不満を感じている社会は、判決が更に軽いものになっている事実を強く苦情す
るようになって当然だ。

その状況は一審判決(判例167件)で顕著であり、78%が求刑>判決、17%が求刑
=判決、求刑<判決は5%しかなかった。ちなみに二審判決(51件)は求刑>判決72
%、求刑=判決14%、求刑<判決14%、最高裁判決(65件)は求刑>判決77%、
求刑=判決12%、求刑<判決11%となっている。

性暴力に対して刑法典が与えている最高刑は入獄15年であり、最高刑の判例はひとつも
ない。上の平均値を見るかぎり、加害者(男)は実に軽い刑罰しか与えられていないこと
がわかるだろう。


実はその法的プロセス以前に、世間が与える社会評価というものがある。社会が持ってい
る性的ビヘイビアに関する価値観がその評価を生む。社会制度のひとつの柱になっている
観念については上述した。言うまでもなく、法廷に出現するロジックは世の中にあるもの
の引き写しだ。悪者にされた被害者は世の中に身の置き所を見出すのが困難になり、過去
の傷を秘匿し、日陰を選んで生涯を送らざるを得なくなる。このような形は世の中にレイ
プの存在を寛容にさせ、レイプ被害者をして、口をつぐんで傷を人目にさらさないよう委
縮させる方向に駆る。被害者と加害者を夫婦にしてしまおうという両家族の思惑は、そう
いう社会の様相に対して巧みに立ち振る舞おうとする傾向と対策のひとつであるにちがい
ない。被害者女性は自分の人生を台無しにした男を夫にして、自分は社会生活における救
いを得たと果たして思うだろうか?

レイプ加害者が、世の中から一目置かれたり、あるいは尊敬されている社会的有力者であ
ればなおさらのことだ。つまり世間に認められた男は、女をレイプすることは当たり前の
行為であり、著名人になった特権だと思い始めるにちがいない。インドネシアでその種の
具体例は枚挙にいとまがない。[ 続く ]