「スラバヤ・スー(33)」(2017年02月07日)

ある夜明け前、ホテルムルデカのタントリの部屋をホテル従業員がノックした。時計はま
だ午前4時半を指している。ひとりの将校があなたに面会を求めている、と従業員が言う。
タントリはその将校をベランダに通して、コーヒーを出すよう従業員に依頼し、自分は手
早く着替えてベランダに出た。

後ろ向きに座っている若い将校にタントリが声をかけると、振り向いた将校はピトだった。
バリ島に潜入して現地状況を探っていたピトが戻って来たのだ。ところがピトの表情は悲
しみに包まれていた。悪い予感がタントリを包んだ。

ピトは言葉を失っている。タントリは心を固めた。「ピト、話して。アナアグン・ヌラの
ことでしょう?」
ほとんど聞き取れないような声でピトは言葉を吐き出した。「かれは亡くなりました。不
穏分子に撃たれたんです。」
「オランダ人?」
「いや、オランダ人でなく、インドネシア人に。」
「ありえないわ。」
「これに関する話はいろいろ錯綜していて、一筋縄ではいきません。かれらがオランダ人
の手先だったという話をするひともいましたが、わたしには、そうは思えません。」
ピトは出来事の一部始終を話し始めた。

オランダ人がバリ島に戻ってきてから、NICA兵士が共和国派のバリ島民にさまざまな
暴行を加え始めた。独立派の戦士が捕虜になったとき、捕虜は頭を坊主刈りにされた上、
頭皮の半分をむかれた。インドネシアの紅白旗に見立てたわけだ。

そして荷車の上に乗せられて、デンパサルの街中を引き回された。オランダ人に逆らうと
こうなるぞという見せしめだ。他の独立派戦士たちの怒りは沸騰した。島内にいるすべて
のオランダ人を皆殺しにしようと衆議は一致したが、ヌラはみんなの感情を鎮めようと努
めた。復讐に復讐をぶつけ、血で血を洗う殺し合いは決して正しいことではない、という
のがかれの持論だ。殺人は間違ったことであり、殺人を殺人で正すことはできない。

インドネシアの完全独立はあと少しのところまで近付いているのであり、その日が来れば
すべてのオランダ人はこの地から去って行く。それまで、間違ったことをしないように努
めなければならない。

しかし理性の勝っている戦士ばかりではない。暴力で勝つことを求めて時代の潮流に乗っ
た者たちが憎悪の感情をたぎらせるとき、その誤りを指摘されれば相手は即座に敵となる。
かれらがアナアグン・ヌラを、軟弱どころかオランダ人に通じていると言い出すことは大
いにありうることだ。獅子身中の虫は処刑されなければならない。


ある夜、独立派戦士と見られている数人の男たちがヌラの隠れ住んでいる山地の奥の家に
やってきた。既に施錠されている家の表を叩いて、「ヌラへの緊急連絡を持ってきた」と
呼ばわった。ヌラは何の不審も抱かずに扉を開いた。次の瞬間、数発の銃声が響き、ヌラ
は床に転がった。ヌラが動かなくなったことを確かめた銃撃者たちは、静かにそこを立ち
去った。[ 続く ]