「スラバヤ・スー(37)」(2017年02月13日)

ふたりは車を捨てて歩き出した。何時間歩いただろうか、トゥガル方面から軍用ジープが
一台やってきた。大佐が停止を命じる。ジープは軍司令部に報告書を届けるためにヨグヤ
に向かっていると言う。大佐は上官命令を下した。
「先にトゥガルまで、われわれを運べ。」


ふたりはトゥガルの軍司令官の家に泊まった。船の出港準備は完了しており、沖にいてト
ゥガル港を出入りする船を監視している巡洋艦の隙を突く機会を待ち受けているのだ。夜
になれば巡洋艦のサーチライトが一定のパターン周期で海面を照らす。

翌日、アンボン人船長と4人の乗組員が挨拶に来た。4人のうちの3人はモジョクルト時
代に面識があった共和国派戦闘員たちだった。だが、船長役のイギリス人に会ったのは、
その日の午後遅くだった。船を見に行ったタントリは、こんな船で海を乗り切れるのだろ
うか、と不安を感じた。船は地元漁船を装って甲板に漁網を積んでいる。魚臭さが鼻を衝
いた。

酔っ払いの千鳥足で船にやってきた老人はタントリを見ても、ただ一瞥しただけで親しみ
を示さなかった。タントリが自分もイギリス人だと自己紹介すると老人は、「おお、そう
か。オランダの阿呆どもに、イギリス人の凄さを目に物見せてやろうじゃないか。」と言
ったが、それは酔いに任せての大言壮語だったのかどうか・・・?

しかし港外の巡洋艦は昼も夜も監視を続けており、隙を見せない。同じ状況が何日も続い
た。大佐と司令官は港の活動をできるかぎり沈静化させて、監視のオランダ人を退屈させ
るように努めた。

その効果があったのかどうか、8日目になって巡洋艦は錨を上げ、西に向かって移動し始
めた。バタヴィアへ向かったのか、それともぐるっと一回りしてくるだけなのか、それは
わからない。だがタントリ一行はその機会を逃さなかった。夜のとばりが降りると、大佐
と司令官が前途の無事を祈る中、船は出港した。


二日間、船は穏やかな状況の下をジャワ島北岸に沿って西航した。三日目になって、水平
線に船影が出現した。アンボン人船長はほど近い入り江に逃れることを決め、全速を指示
する。この辺りの海は浅瀬が多く、喫水の深い船は海岸に近付くことができない。この木
造船は地元の漁船のふりをして入り江に入り、オランダの軍艦が通り過ぎるのを待つだけ
だと船長は言う。

オランダの軍艦は入り江の沖で数回旋回した。そしてこの周辺に多い漁村の船だろうと最
終的に判断したらしく、その場を後にした。夜になるのを待ってから、船はふたたび海上
に出て海岸沿いに進んだ。

翌日の昼、また同じことが起こった。そのとき船は延々と続く断崖に沿って進んでおり、
陸地に逃げる道が閉ざされている。オランダの巡洋艦は高速接近してきた。船長は船を断
崖の陰に隠したが、巡洋艦がボートをおろして臨検を行えば、逃れるのは不可能だ。そう
なればイギリス人船長を立たせて対決するしかないが、ニセ船長のイギリス人は部屋で酔
っぱらって眠っている。[ 続く ]