「パンチャシラは宗教独裁への防波堤(後)」(2017年03月09日) 法的仕組みは政党がその本来的機能を果たすための余地と位置を与えているが、政党は自 己修正に失敗しているため、その構図にブレークスルーは起こらない。 国民は不満の解決を政治に向けず、ソーシャルメディアに不満をたれ流している。「日常 生活では礼節正しい人間が、ソーシャルメディアに中傷や讒訴を書き込む。まるでモラル の基準が違っているみたいだ。オフライン環境で他人を罵るのは罪であっても、ソーシャ ルメディアでは別なのだろう。」 インドネシアデモクラシーのもうひとつの柱である市民社会組織は、統一民族の価値観を 守護するための政府のフルサポートを得ていない。ナフダトゥルウラマやムハマディヤを 筆頭にする宗教民間団体は社会政治的問題が起った時だけ火消し役に使われている印象が 強い。「宗教民間団体は国家生活の基盤をインドネシア共和国統一国家とパンチャシラで あるとしているのだから、政府が国民の価値観を維持することに努めるとき、ナフダトウ ルウラマやムハマディヤに協力者としての役割をもっと強く求めるよう希望する。」ナフ ダトウルウラマ中央執行部事務局長はそう述べている。 国家警察広報部長はナフダトウルウラマやムハマディヤに対し、パンチャシラと寛容性と いう民族の基本価値観を守護するために、リーディングセクターとしての役割を期待して いると語った。 「民間団体のメインストリームである大型組織がパンチャシラを全国民に対する最優先規 範として盛り立てて行くことは大いに期待されているところであり、メインストリームが 沈滞していれば、伝統ある民族イデオロギーはラディカルグループに破壊されてしまうだ ろう。」 全国民が有機的に融合し合ってデモクラシー国家であるインドネシアの国家原理を維持し ていくことが急務となっているこの時期に、国民の一体感は一部勢力の示威活動によって 分裂の気配を深めている。その一部勢力の示威活動がもっと大きな謀略の中で動いている 可能性を感じさせる現況は、更なる深刻化を可能にするかもしれない。諸宗教・諸種族・ 諸文化の統合体という世界に数少ない人類の理想のテスト場となったインドネシアが、そ の建国時の理想を継続できるのかどうか、今、その正念場に差し掛かっていると言えるに ちがいない。[ 完 ]