「深夜にスラマッパギ?(2)」(2017年03月21日)

インドネシア文化を代表するjamという言葉の付いた風習はjam karetだろう。今でこそ様
相が変化してきているが、かつてインドネシア人は日常生活での「とき」観念をjamに置
かず、waktuに置いていた。大半がムスリムであるインドネシアの民衆にとって一日のサ
イクルは、モスクのスピーカーから聞こえてくる礼拝のときを知らせるアザーンの声を時
間の把握に使うのが一般的であり、時や分を秒刻みではかる時計による時間の把握は概し
て不得手だったようだ。礼拝の「とき」は太陽の動きに沿って決められるものであり、時
計が基準の位置に置かれていないのはきっと周知のことだろう。

往時のインドネシア人にとって「とき」というのは、秒針のコチコチ刻む音のない、ゆっ
たりと流れるものであったにちがいない。だからこそマンアヤッの意識はwaktuへの傾斜
が大きく、悪く言えばjamに対するなじみにくい感覚を抱えていたようにわたしには思わ
れる。

インドネシア人のご老体と呼ばれる世代のひとびとからも概してマンアヤッと似た精神傾
向が感じられ、はなはだしい大先生に至っては「会議の開始時間を何時何分などという決
め方をせず、朝昼夕といった時間帯で決めればよいのだ。」という持論を振り回した。そ
の大先生によれば、「会議はどうせ全員がそろわなければ始まらないのだから、9時と書
こうが10時にしようが、誰かが遅れたら同じことだ。朝と書いておいて、みんなが集ま
ったら始める。そのほうが、9時と書いたのに実際に始まったのは10時半などというの
よりは、はるかに健全だ。」との話で、それはインドネシア人のjam karetを前提にして
いるわけであり、つまりはインドネシア文化の一項目として存在するjam karetを正当に
評価しようという姿勢につながるものとわたしは見る。

ゆったりと流れるwaktuを生きているひとびとにとって、秒刻みで時間を追いかけて行く
jamというのはきっと、かれらの気持ちから余裕を失わせてしまう悪魔のように見えてい
たのではないだろうか。その悪魔の手中に落ちることなく、独立した自由な存在であり続
けようとするインドネシア人には、jam karetが伝家の宝刀となったにちがいない。


インドネシアのパギという時間帯表現に関する慣習は、世界の多くの国で行われているも
のと大差ない。そもそも、人類の原初的存在であった太古のひとびとは、昼行性の動物で
あったがゆえに、かれらにとって一日というのは活動性の高い時間帯を意味していたに違
いない。つまり薄明が始まり、日没から残照が消え失せるまでの時間帯が一日であり、太
陽が隠れてしばらくすれば睡眠に就き、8〜9時間経過して目覚めればそのしばらく後に
薄明がやってくる、という生活サイクルの中で、太陽が東の地の果てから光を放ち始めれ
ば「さあ、またこの一日をやりおおすぞ」という意欲に燃えたのではないだろうかと推測
される。大昔から現代に至るまで、そういった状況や心情を表現する言葉に事欠かない事
実がそれを証明しているとわたしは考える。[ 続く ]