「深夜にスラマッパギ?(5)」(2017年03月24日) その太陽が頭上に来るとき(正午)をプトレマイオスが一日の始まりと決めたとき、それ は天体観測者のためのものでしかなく、一般民衆は多分それを受け入れることが困難だっ たにちがいない。普通人は一日の活動を夜明から日没まで続けているのに、正午になった ら日付が変わるのでは困ることが多々発生するだろうから。 その問題を克服するために世間は、正午を一日の中央とし、その前の12時間(a.m.)と その後の12時間(p.m.)が地球の反対側で出会うときを一日の開始にしたと推測される。 だから、一日の始まりは夜闇の中になっているわけだ。 現在、世界の大半の民族は西洋カレンダーに即して24時=0時を一日の始まりとしてい るが、日没を一日の開始にしている民族が存在する。ヒジュラ暦を用いているイスラム教 徒にとって、新しい月の初日は日没時に新月が東の空に目視されたときから始まることに なっており、月と日がその時点で同時に立ち上がるのである。こちらも、まだ薄暮の中で あるとはいえ、夜が一日の開始となっている。 ヘブライ暦もカソリックの典礼暦も同じ方式が使われており、それら三つの宗教を生んだ 同質の文化的背景を想像させてくれる。 たとえばクリスマスの日の前夜に行われるクリスマスイブの祭礼は一般に前夜祭と呼ばれ ているが、もともとはクリスマスの日が前日の日没から既に始まっているので、クリスマ スの当日が既に始まったことを祝して行われるものだったにちがいない。 インドネシアでも、malam mingguとかmalam jumatという表現がよく使われ、それはその 曜日の前日の夜を指すものである。つまりクリスマスイブと同じ用法になっているのだ。 一方、minggu malamやjumat malamという語順になると、これは現代西洋式カレンダーに 即した日曜日や金曜日の夜を表している。 一方、新月を月の開始日としているのに、各月のついたちはユニバーサルカレンダーの2 4時=0時としている民族もいる。それが太陽暦に由来していることは言うまでもあるま い。太陽が頭上に来る正午が一日の中心なのであり、その対称位置が24時=0時となっ ているのが太陽基準であることは、既に上で見て来た通りだ。 ならばイスラム社会のヒジュラ暦がどうしてそうならなかったのか?アラビア半島の原住 民が太古は夜行性だったとは思えない。かれらも太陽の動きに合わせて日常生活を営んで いたはずであり、太陽の動きが引き起こす季節変動の時期を太陽と無関係にはかることは 至難のわざだったはずだ。 一年を12ヵ月354日前後とする暦だと、太陽の動きとの間に十日ほどの乖離が起こる。 十五〜十六年経過すれば、積み重なった乖離は一年の半分に近づく。それでは、季節変動 を月という単位を使って測定するのは難しい。[ 続く ]