「プリブミ(前)」(2017年04月19日)

ライター: コンパス紙記者、著述家、アフマッ・アリフ
ソース: 2017年4月5日付けコンパス紙 "Pribumi"

わたしの肌は茶色で、髪の毛はほとんど真っ直ぐ。細長い目ではない。父はわたしにアラ
ブっぽい名前を付けたが、わたしの知るかぎりでは、わたしの一家は先祖代々ジャワの系
統だ。少なくとも四世代にわたって、わたしの一家はアラブっぽい名前になっている。

わたしの外見は、東南アジアではありふれたタイプだ。言葉を話さないかぎり、わたしは
マレーシアやタイで簡単に地元民だと思わせることができる。それどころか、日本にいた
とき、わたしは地元民だと思われて何度も現地の言葉で話しかけられたことがある。

シンガポールではタクシー運転手がペラペラとマンダリンで話しかけて来たし、おまけに
中国正月の祝辞まで述べられた。わたしは礼を言いながら、自分は中国正月を祝う人間で
はないと伝えた。わたしはインドネシアのネイティブのジャワ人なのだと言ったが、その
運転手は信じようとしない。肌は茶色でも、あなたには中国人の血が混じっている、とか
れは確信して言う。「ジャワ人はたいてい混血している。スラバヤにいるわたしの姪はジ
ャワ人と結婚したが、子供は父親似だったよ。」


そのタクシー運転手の言葉は、イタリアの集団遺伝学者ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=ス
フォルツァの思想を単純化したようなものだ。スフォルツァによれば、たとえば肌の色が
白か黒かというような外見的特徴の違いは、異なる環境への適応以外のなにものでもない
そうだ。科学的に見るなら、レーシストになる理由などどこにもないのである。

白人になったのは太陽光線からの保護機能を持つメラニン色素をその体内に擁していない
からだ。メラニンとはギリシャ語のメラス、つまり黒を意味している。反対に熱帯地方の
ひとびとは黒い肌の色で太陽光線の直撃を克服している。だからスティーブ・オルソンが
言うように、人間の外見上の差異というのは、歴史におけるアクシデントと生物学的コメ
ディ以外のなにものでもない、ということなのだ。とっかえひっかえ身にまとうことので
きるお面やコスチュームの問題を超えるものではないのである。


[ 祖先の道程 ]
インドネシア人の由緒に関する調査の一部として、テクノロジー・リサーチ・高等教育省
のエイクマン分子生物学研究所がわたしの血液サンプルを分析した。すると思いがけなく
も、シンガポールのタクシー運転手が見込んだ通りのことをわたしの血液中の遺伝子トレ
イルが証明した。

DNAのミトコンドリアマーカーの検査でわたしは、ハプログループFlalaに分類された。
Flala遺伝子集団は、ソアレスによればおよそ9千年前に中国南部にできて、タイやマレ
ー半島など東南アジアの西部と南部に広がった。[ 続く ]