「ジャカルタ〜バンドン高速鉄道はシルクロードの一部(1)」(2017年11月14日)

ライター: インドネシア大学経済学名誉教授、南洋理工大学Sラジャナッラム国際関係
学部経済学教授、スドラジャッ・ジワンドノ
ソース: 2017年8月31日付けコンパス紙 "KA Cepat dan Jalur Sutra Baru"

ジョコ・ウィドド大統領の音頭で2016年初にスタートしたジャカルタ〜バンドン高速
鉄道建設は、賛否論争や進捗状況を含めてたくさんの論調が世の中に飛び交っている。わ
たし自身、現在の輪郭における建設工事にはあまり賛成していないが、この小論はそれを
論じるためのものではなく、ニューシルクロード、OBOR、一帯一路政策(BRI)な
どとして知られる中国政府が企画したプログラムの一部をなす高速鉄道建設システム自体
に関する種々のメモについて触れようと思う。

シルクロードとは漢王朝時代(紀元前207年〜紀元220年)以降のアジアとヨーロッ
パの二文化を結んだ経済通商路につけられた名称だ。習近平主席は過去何世紀にもわたっ
て続けられてきた関係を手掛かりに用い、陸上ならびに海上を通るその古い経済通商関係
を再興させてアジア〜ヨーロッパ関係を発展させようと望んでいる。それゆえにこのプロ
グラムは、そのルート沿いでの海港と埠頭およびサポート施設を含むインフラ建設に関わ
っているのである。


陸上交通システムでは、中国は高速鉄道をその尖兵に据えている。しかしながらそのプロ
ジェクトは中国や関係諸国が期待し、宣伝しているほどスムースに進んでいない。

習近平主席統率下の中国政府はアジアとヨーロッパ間の通商経済を、紀元前の中国の漢王
朝が設けた古いアジア〜ヨーロッパ通商交通コンセプトを用いて発展させようと決意して
いる。東西の生活文化をも関連付ける経済通商関係システムは地中海から朝鮮半島を越え
て日本にまで広がり、ドイツ人探検家フェルデイナンド・リヒトホーフェンが1877年
に名付けたシルクロードという名称で世に広まった。それに対して習主席のコンセプトと
プログラムはニューシルクロードと命名されている。

ニューシルクロードのコンセプトとプログラムは中国政府が2013年に打ち上げ、去る
5月に北京でBRIに関する最高会議が催されて一層公式なものになった。その会議には
60カ国が参加して28人の国家元首や政府のトップが顔を見せた。プーチン大統領、エ
ルドアン大統領、ジョコ・ウィドド大統領、世銀総裁やIMF専務理事も出席している。

他の国々よりも低いコストで高速鉄道を建設するのに成功した中国は、高速鉄道をもって
ニューシルクロードの切り札に位置付けた。2015年にヨーロッパ16カ国首脳会議の
ホスト国を中国が務めたとき、賓客たちが蘇州から上海まで高速鉄道に試乗したのに付き
添った李克強首相が、このプログラムに参加する国には高速鉄道建設の技術供与を行う用
意がある、と語っている。「それらの国と中国の関係は、いま皆さんが乗っているこの列
車みたいなものだ。スピード・コンフォータブル・セーフティ。」と李首相は強調した。

インドネシア・パキスタン・イラン・エジプト・東欧諸国などといった、そのルートに位
置する諸国への公式訪問の中で習主席は、中国の船隊がそれら諸国に寄港して経済・通商
・文化の交流を行った古い歴史について述べることを忘れなかった。[ 続く ]