「ボゴールのヒンドゥ教寺院(終)」(2017年12月29日)

当時、北ジャカルタの(またまた日本語グーグルがチリンシンと書いている)チリンチン
(Cilincing)に、海プラであるプラダルムプルナジャティ(Pura Dalem Purnajati Tanjung 
Sari)が存在していたが、それと対を成す山プラがまだ首都圏にはなかった。関係者たち
の気持ちは山プラの建設に向かって進んで行った。

1995年にボゴール県庁から山プラの建設許可を得ると、まずプラブシリワギを祀るチ
ャンディが建設されることになった。しかしチャンディのデザインが問題になった。ジャ
ワ風のチャンディではそぐわないから、たくさんあるジャワのものをお手本にすることが
できない。結局、ガルッ(Garut)にあるチャンディチャンクアン(candi Cangkuang)を参考
にして、それより背の高いチャンディが作られた。

チャンディを作るためにたくさんの巨大な黒石がトラック5台で運び上げられ、トラック
がそれ以上入れない場所からは人力で建立場所まで運ばれた。バリ島から呼ばれた石工が
組み上げられた黒石に彫刻をほどこした。

チャンディシリワギでプラブシリワギに礼拝して瞑想すると、パジャジャラン王国時代の
伝説のひとつとなっている白虎の姿を伴うイメージが脳裏に浮かんでくる、とひとびとは
言う。


およそ一年かけてチャンディが出来上がると、今度は礼拝場所であるバレパッマ(Bale 
Padma)が作られ、更に他の施設が次第に増やされて行った。それらの作業は厳密にヒンド
ゥの作法に従って行われた。

プラパラヒヤガンアグンジャガッカルタは三つの異なるレベルの聖域で構成されている。
トリマンダラ(Trimandala)と呼ばれるその三域とは、表門を擁するもっとも外側のニスタ
マンダラ(Nista Mandala)、一般信徒の活動域に当たるマドヤマンダラ(Madya Mandala)、
そして最高位の聖域でもっとも奥に位置するウタママンダラ(Utama Mandala)だ。このプ
ラは2005年に公共プラに指定された。ヒンドゥ教の祝祭にはここで儀式が行われ、首
都圏に住むヒンドゥ教徒の中にはここまでやってきて務めを果たすひとたちもいる。


スンダ地方の伝統文化保存活動家のひとりは「このプラが持つ意義はたいへん大きい。」
との高い評価を表明した。スンダ地方がイスラム化されてからは、それ以前に文化の基盤
に置かれていたヒンドゥ=ブッダ文化が影響力を失ってしまった。しかしイスラム化前ま
でのスンダの歴史はヒンドゥ=ブッダ文化で営まれていたのであり、このままではそれが
結局忘れ去られてしまうことになりかねない。忘却を防ぐためには、日常生活の中でそれ
に触れたり、思い出させたりすることのできる、モニュメント的な何かが必要なのである。

そのためにはこのプラが、そしてチャンディシリワギがスンダの民衆にひとつの意義を提
供するだろうことは疑いないだろう。[ 完 ]