「ガウル(3)」(2018年01月19日)

バハサプロケムの造語法には、次のようなものがあるとされている。
反対語に置き替える
類語に入れ替える
数字に置き換える
音素を入れ替える
音素の配置を変える
接頭辞・挿入辞・接尾辞を加える

誤解してならないのは、バハサプロケムもバハサガウルも、そしてここでのテーマではな
いがバハサSMSも、全国的に統一されたものは存在しないということだ。使いやすく、
分かりやすく、カッコよい、といった優れた造語は社会全体に普及していく傾向が高いか
ら、世界各国における新造流行語と同様に全国民が常識として取り込むことになるとはい
え、中にはあくまでも自分のグループ内で別の造語を使うということも行われており、そ
れは本人たちの完璧な自由意志に委ねられている。それらは社会の中で大勢の個性の異な
る人間が行っている自由行動なのだから、本来的に統一性を期待するほうが無理なことが
らなのである。そしてどのような強権国家であろうとも、その中身を管理することなど不
可能であるに決まっている。

同じジャカルタのパサルスネン地区に巣食っている複数のプレマングループの間で異なる
単語が使われることはもちろんあるし、またジャカルタとバンドンでは異なる造語がなさ
れることも当然起こっている。特に地方語の影響は無視できないものがあり、デフォルメ
される元の単語がスンダ語であったり、ジャワ語にしてもソロのジャワ語とトゥガルのジ
ャワ語でまた異なっていたりする。


反社会集団の隠語として生まれたバハサプロケムが、若者を中心にしてそれに魅力を感じ
た一般社会の堅気のひとびとの間に広まって行ったとき、特定集団にとっての排他的隠語
という本来の機能は失われた。そのときバハサプロケムは疑いもなく、世の中に開かれた、
より社会性の高い、ポピュラー感覚の、新しい文化言語に変質する契機を迎えたことが推
察される。

バハサプロケムの社会化は、若者たちの創造性を掻き立てて、同年代の息吹を呼吸してい
る仲間たちの間での流行語という方向へと動き出した。バハサプロケムの変質が始まった
とき、その社会現象を担ったのがまだ年若いアーベーゲー(ABG = Anak Baru Gede)たちで
あったことが、バハサガウルという名称が定着するまでの間、バハサアーベーゲーという
名称で呼ばれた理由だったにちがいあるまい。

上の世代が決めてがっしりと塗り固めている社会の見習い小僧になって、エスタブリッシ
ュメント体制の中の歯車に自分をならしていくことを良しとしない若者たちの反逆精神は、
そのバハサアーベーゲーの中に滔々と注ぎ込まれた。反社会集団の隠語は今や、ジェネレ
ーションギャップを境界線とする内的世界の隠語へと姿を替え始めたのである。そこにバ
ハサガウルという名称が生まれる根拠があった。[ 続く ]