「ガウル(6)」(2018年01月24日)

理想の「社会人」になるためのツールとして、このバハサガウルが世の中に出現したので
ある。バハサプロケムからバハサガウルへの変身というのがたいへん大きな意味を持つ社
会現象であったことが、そこからきっと理解できるにちがいない。その名称の変化も実に
的確にその社会現象の本質を表現しているのではないだろうか。


バハサプロケムがそのころジャカルタでマイナー言語になってしまったブタウィ語を多用
したことは上で述べた。他地域他種族移住者がメインを占めるジャカルタ都民の多くが知
らない言葉だから、プレマン言語として用が足せたのだろう。

バハサガウルがバハサプロケムを下地にしたことで、たくさんのブタウィ語がバハサガウ
ルの中に取り込まれる、という現象が起こった。インドネシア語ウィキによれば、元々は
福建語だった「gue」「lu」といった人称代名詞はブタウィ語に取り込まれていたから、
それがバハサガウルとして使われるようになり、今では全国展開されているという見方を
示している。

その立場から現代インドネシアにおけるブタウィ語の使用、あるいはサバイバル、という
現象を見るかぎり、首都ジャカルタというステータスがブタウィ語に価値を与えたのでな
く、バハサガウルによって生命を吹き込まれたものだと解釈することができるのである。

しかしながら、1970年代半ばごろにはバンドンの上流階級の紳士淑女がブタウィ語の
単語をあたかも流行語のように使っていたことをわたしは実地に見聞しているから、その
時代には首都というステータスがブタウィ語への憧れを地方部のひとたちに与えていた事
実があったことも付記しておきたい。


ブタウィ語との関連でどのような言語上の特徴をバハサプロケムが持つようになったのか、
それを分析してみるのも興味深いことだ。その内容はバハサガウルの中に取り込まれて行
ったから、その語法に親しめばバハサガウルは怖れるに足りない。

とは言うものの、バハサガウルというのは標準インドネシア語に対する破壊行為に該当し
ており、且つインドネシア語学界もその立場に立っているから、それはオーセンティック
なインドネシア語と認められていない。つまり、いくらバハサガウルに習熟しても、イン
ドネシア語検定で良い点をもらうことは期待できないだろうと思われる。

インドネシア語学習者はそのポイントに対する見極めをつけて、自分が何のためにインド
ネシア語を学習しているのかという目的にもっとも合致した扱いをこのバハサガウルに対
して行うべきではあるまいか。

バハサガウルが社会的に優勢になっていることから、インドネシア国内のアカデミックな
環境でインドネシア語を学んでいるひとたちにとってたいへん難しい時代になってきたも
のだ、とわたしは同情する。なにしろ日常生活の中で、オーセンティックでないインドネ
シア語が耳目にバンバン飛び込んでくるのである。そんなインドネシア語にいくら親しん
でも、標準インドネシア語の力など付きはしないのだから。


それでは、ブタウィ語を取り込み標準インドネシア語をデフォルメして語彙を増やしてき
たバハサプロケムがバハサガウルに発展して行った歴史の中で、今現在バハサガウルとし
て使われているさまざまな実例を詳しく見て行くことにしよう。[ 続く ]