「バハサミレニアル(前)」(2018年01月31日)

ライター: ポピュラー文化研究愛好家、「アーバン痛罵」著者、ウジ・カヤン・アディ
ティヤ・スプリヤント
ソース: 2017年8月28日付けコンパス紙 "Bahasa Generasi Milenial"

言葉は時代と共に発展する。それぞれの時代に生まれた世代は、結局自分たちの言葉を作
り出す。国民の一部を構成してY世代とか自由世代とか呼ばれている、ミレニアルと呼ば
れる最新世代もその例外でない。

ヨリス・セバスティアン、ディラ・アムラン、ユースラボ調査機関は「自由世代、インド
ネシアのミレニアル」と題する書籍(2016:45)の中で、「欲するがままに誰とで
も自由に関りを持つ(持とうとしないことについても同様)世代」という定義をその世代
に与えている。ミレニアル世代のライフスタイルと生き方を理解するキーワードは「自由」
だ。「自由」がミレニアル世代をして、柔軟で受けの良い新語の創造を可能にしている。

ミレニアル言葉は現代バハサガウルであり、言葉は時代を示すシンボルでもある。これま
でにわれわれは、さまざまなバハサガウルに接してきた。70年代に当時の若者は大勢、
トゥグ・エスハが小説「浮浪児アリ・トパン」(1977年)で流行させたバハサガウル
に親しんだ。かれの示した言葉は、たとえば次のようなものだ。

Si Bobby? Katro banget dia! Gara bokis dijadiin meten, jack! Suka lupa ame kawan! 
Eks harim gout, si Anna Karenina nyang ortunya sangar kayak 'kang jaga kuburan, 
terbang ke Singapur, digusur bokapnya. Gout udah bilangin, eh die maksa. Ya udah. 
Gout gara bokis bilang pae pae lagi deh!!

バハサプロケムと呼ばれたバハサガウルも一部のひとは知っているだろうし、親しんだか
もしれない。プロケムの語源であるプレマンはドイツ語frij-manあるいは英語free-manの
借用語であり、インドネシアでは犯罪者社会の含蓄を帯びて使われている。pelaku kri-
minal, narapidana, gali, bromocorahなどと呼ばれる者たちだ。

< ボトル言葉 >
70年代の世代がバハサプロケムを生み、トゥグ・エスハ作品のような書物やポップノベ
ルでそれに親しんだのに対して、ミレニアル世代のバハサガウルは異なる方法で広まった。
そのひとつが、ミネラルウォーターボトルのパッケージだ。

インドネシアで有名な瓶詰飲用水メーカーのひとつが、ボトルのラベルをいくつかのバリ
エーションに変えて発売した。6百cc瓶のボトルには、最新世代のフィーリングや語義
にフィットする単語や句が表示された。かれらの生活、かれらの性質、そして多分かれら
の性格までをも描き出す表現がそこに示されたのだ。その上の世代にとっては少々合わな
いものであっても、たいていの最新世代は即座にそれらの言葉を理解した。

たとえばjombiという語はjomblo bingungの合成語だというように。更に「別れた相手と
よりを戻すか、それともこのまま独り身を続けるかについて、焦点が定まらない状態のこ
と」という定義付けがそれに続く。文例は次のようになる。
inget mantan lupa jalan pulang, kamu jombi
喉が渇いて精神集中に欠けると、そのボトルは早く水を飲めとわれわれを誘う。

既存や新造のバハサミレニアルがどれだけそのボトルに記されるのか、われわれには想像
もつかない。その瓶詰飲用水製造会社はソーシャルメディアからこぼれ出てくる新語を拾
っているのだそうだ。ならばボトルのラベルに表示されるバハサミレニアルは続々と出現
するはずだ。[ 続く ]