「ブタウィ語を知ろう(4)」(2018年02月14日) だがインドネシア語は昔からさまざまな外国語を語彙の中に取り込んできたのではなかっ たろうか?ハリムルティ教授は、外国語をそのまま使うのでなく、インドネシア語として ふさわしい語彙に作り直されるべきだ、と言う。 たとえばインドネシア語にsangralokaという言葉があるのに、英語のresortがresorとい うインドネシア語にされ、フランス語のboulevardがadimargaとならずにbulevarとなり、 英語のregencyがgrahaでなくregensiになったことについて、何の不思議もないことだ、 とコメントする。「だってそれは、考えることへの怠惰な国民性がなせる業なんだから。」 とかれは皮肉るのである。 < 綴りと辞書 > ファッションが変遷するのは、今に始まったことでない。ウンガウングという、話者の階 層に関連付けて使う言語を区別する原理は、16世紀のマタラム王朝時代に始められたも のだ、とハリムルティ教授は説く。その前のマジャパヒッ王朝時代に使われていたジャワ 語は古ジャワ語であり、古ジャワ語にウンガウングはないのだそうだ。 インドネシア語にもファッション変遷はある。辞書に収録された語彙とその綴りにわれわ れはその変遷を見ることができる。1901年のファッションは、ファン・オパイゼン式 ムラユ綴りであり、そこではoe, tj, dj, jが使われた。1947年、スワンディ指導教 育文化大臣は共和国式綴りを制定し、oeの綴りをuに替え、最終的に改正綴り方に関する 大統領決定書第57/1972号で、tjがc、djがj、jがyに変更された。 ファッションの推移に影響されて、辞書作りにも変化が起こった。「インドネシア語」に 関する最古の辞書は15世紀に編纂されたもので、採録語彙は5百の華語〜ムラユ語だっ た。他にも古ジャワ語辞典、ムラユ=アラブ語辞典、ムラユ=トルコ語辞典が作られてい る。 それらの辞書はすべて、外国人が編纂したものだ。ブミプトラであるRサストラスガンダ が1916年に編纂した「Baoesastera Melajoe Djawa」と題するムラユ=ジャワ語辞典 がインドネシア人の初制作辞典となった。今では、さまざまな用途のためにさまざまな辞 典が作られて流通している。独立期当初にはインドネシア語コミッション制作の専門語辞 典、1974年にはBSアンワルが編纂した工学辞典、1976にはITBが化学薬学用 語辞典を出している。 国語指導開発センターは1988年にインドネシア語大辞典(KBBI)第二版を出版し た。この第二版は7万2千語が採録されており、初版から1万語増えている。辞書採録語 彙の増加はインドネシア語が発展していることを示すものだ。地方語や外国語がインドネ シア語に取り込まれているのである。 ジャワ語から取り込まれた単語には、reot, pusar, renyah, meremなどがあり、ブタウィ 語からはloyo, mesum, gesit, meleng、ミナンカバウ語はulas, majelis, piawai、マナ ド語foya-foya, baku (hantam)、サンスクリット語からはcelana, karma, penjara, san- di、タミール語はketumbar, kedai, peti, nelayan、ペルシャ語bandar, kawin, pasar, buletin、アラブ語からはimam, tirakat, kamus, mualim、ポルトガル語からはarmada, sinyal, minggu, gereja、オランダ語はrepublik, teori, opsir, parlemen、英語はkom- puter, finis, gosip、華語からはsampan, kongsi, tekoなどの単語がインドネシア語化 されている。[ 続く ]