「サレンバ(1)」(2018年03月15日)

1678年にVOCが建設したバタヴィア城市とメステルコルネリスを結ぶ幹線道路に沿
って、東ジャカルタ市マトラマン郡の北に位置しているのが中央ジャカルタ市スネン郡だ。

幹線道路はサレンバラヤ通り(Jl Salemba Raya)と名前を変えるが、行政区画名称ではパ
スバン(Paseban)町とクナリ(Kenari)町がその東西をはさんでいて、サレンバという道路
名称やその言葉を含む地区名称はあっても、サレンバという行政区画名称は存在しない。
ところが、みんながその地区をサレンバと呼んでいるのである。


このサレンバラヤ通りとマトラマンラヤ通りの境界が中央ジャカルタ市と東ジャカルタ市
を分ける境界なのであり、つまりは昔のバタヴィアとメステルコルネリスの両市を隔てる
境界でもあった。このサレンバラヤ通り界隈に目立つのは、まず病院が多いことが挙げら
れる。

全長わずか1.5km通りのサレンバラヤ通り沿いには、シン・カロルス(St.Carolus)病
院、モッ・リドワン・ムラクサ(Moh Ridwan Meuraksa)病院があり、あちこちで通りに流
れ込んでくる脇道に入れば、チプト・マグンクスモ(Cipto Mangunkusumo)病院、MHタム
リン(Thamrin)病院、チキニ(Cikini)病院などの大型病院を見出すことができる。

道路の西側にあるクナリ町側の道路沿いには、注目すべき場所がいくつか存在する。南側
から見て行くなら、国立図書館、インドネシア大学医学部キャンパス、パサルクナリ、そ
してチキニ(Cikini)地区を走るチキニ通りとサレンバラヤ通りを結ぶラデン・サレ通りに
あるチキニ病院などだ。


サレンバラヤ通り28番地Aにある国立図書館ビルは、スハルト大統領の時代に大統領夫
人がそこに9階建てのビルを建てて国立図書館運営機関に寄贈したもので、公式オープン
は1989年3月11日となっている。運営機関はそれまで西ムルデカ通りの国立博物館、
南ムルデカ通りのSPS図書館、イマムボンジョル通りの独立宣言起草博物館の三カ所の
それぞれに関連する図書館を別々に運営していてのが、これによって本部としての場所を
得ることになり、図書館活動の効率が向上した。

ところで、2017年9月に南ムルデカ通りの図書館が24階建てビルに生まれ変わり、
図書館としては世界最高の高さに加えて最新鋭の諸設備が完備され、国立図書館側はこち
らのビルをも国立図書館という名前で大々的に宣伝しているから、サレンバの国立図書館
と情報が錯綜する可能性が懸念される。

大統領夫人が寄贈した図書館ビルは、もともとそこにあった陸軍病院局の事務所兼宿舎に
大改装が加えられたものだ。その場所では最初、オランダ領東インド植民地ではじめての
HBS(上級市民学校)が1860年9月15日にオープンした。校名はバタヴィアウィ
レム3世王学校(Koning Willem III School te Batavia)で、KW IIIと省略されてカウェ
ドリ(Kawedri)と発音された。このはじめてのHBS学校がバタヴィアの辺地でメステル
コルネリスに近い場所に置かれたのは、メステル居住者への便宜が配慮されたように想像
される。

1942年の日本軍進攻の際に、そこはオランダ人民兵組織が本部を置いたが、降伏した
あとは日本軍が軍用に使い、その後連合軍が進駐してくるとやはり軍用に供された。
[ 続く ]