「KAMUと呼ばれるのは侮蔑?(1)」(2018年04月16日)

インドネシア語の二人称は、外国人学習者にとってきわめて厄介なしろものだ。kamu/mu
やengkau/kau、ましてやelu/luなどは目下の人間か、あるいはせいぜい年齢の近い兄弟や
従兄弟の間でしか使うことができない。

そういう関係でない相手に対して使えば、言われた相手は侮辱や無礼と感じて、人間関係
がおかしくなってしまう。言ったのが外国人なら、まだまだインドネシアに暗いんだなと
思われて反発は免れるかもしれないが、反対に能力を疑われることになるかもしれない。
その封建遺制に由来する状況が継続しているのは、社会そのものの意識がそのあり方に快
適さを感じているためだから、目上目下関係を廃した対等な人間関係に近付こうとする革
命精神の持ち主にとっては、居づらい社会であるにちがいない。

その一方で、リベルテ・エガリテ・フラテルニテをスローガンにする現代西洋文明に近付
こうとする勢力は、目上目下関係の臭いを少しでも消したいがために、その臭いにあまり
燻されていない二人称代名詞を探し求めてきた。

その結果として試みられたのは「ユー」という外国語だ。1970年代ごろのインドネシ
アには、その種の知識階層の間で「ユー」という二人称単数代名詞を使うひとが少なから
ずいた。たいていの日本人は自分が知っている英語に当てはめて、それをI - you の
「you」だと解釈したようだが、実はオランダ語ik - u の「ユー」だった。

ブタウィ人は昔からアラブ語ana - anta をane - ente に変えて使っており、これもあま
り目上目下の臭いの希薄なものだったが、西欧志向の知識層にアラブ語は心理的な抵抗が
あったのかもしれない。さもなければ、ジャカルタに住むようになった非ブタウィ人知識
層があまりブタウィ語に深入りしなかったのは、かっぺ言葉という当時の評価が影響した
こともあったのかもしれない。

「ユー」が一般化しない間に「Anda」という語が登場し、この語は社会的にかなり普及し
た。この「アンダ」をアラブ語の「アンタ」に結び付けて考えているインドネシア人が少
なくないのだが、この語はロシハン・アンワル氏が発起人だそうだ。かれが西洋語の二人
称単数代名詞のような目上目下関係の臭いのない言葉を求めて諸方面に呼びかけたところ、
パレンバンの軍人から提案があった。

その由来はアラブ語の「アンタ」でなく、古ムラユ語の「Andika」という言葉で、これは
王様のような貴人に対する呼びかけの尊称だった。封建色のしみついているものをそのま
ま使うわけにいかないのは明らかで、ロシハン・アンワル氏はアシスタントらと知恵を絞
った結果、「アンダ」という言葉が生まれたそうだ。そういう話をBahteraのメンバーで
あるA.B.サレ氏が書いている。[ 続く ]