「ジャカトラ通り(15)」(2018年06月05日)

「ジャカトラ通り(14)」(2018年6月4日)
プチャクリッという地名は、国鉄ジャヤカルタ駅の西側でチリウン川に至るまでの地区を
指し、そこはピーテルの家から東におよそ4百メートル離れた場所だ。プチャクリッは日
本語で「皮革を割る」意味であり、ピーテル一党の処刑方法がその名前の由来になったの
か、それともピーテルの父親がその辺りで行っていたと思われる皮革加工事業に引っ掛け
て名付けられたのか、はっきりしたことはわからない。

1970年代半ばごろ、わたしが初めてその言葉を耳にしたとき、たいへん異様な印象を
受けたことを覚えている。後になってピーテル・エルベルフェルト事件に関わっていたこ
とを知り、それを地名にしたひとびとの精神構造に首を傾げたものだ。


判決の後、ピーテルの邸宅は素早く処理が行われて、縁者がその資産を利用することがで
きないように手が打たれた。邸宅庭園は取り壊されて塀に囲まれた空き地に変えられ、高
さ2メートルのレンガ塀がその表門をぴっちりと塞いだ。

レンガ塀の正面には、「罰せられし反逆者ピーテル・エルベルフェルトの汚らわしき記憶
のゆえに、この場所で建築し、作業し、レンガを積み、植樹することを今後永遠に禁止す
る。1722年4月14日バタヴィア」というバタヴィア政庁の布告をオランダ語とジャ
ワ語で刻んだ銘板がはめこまれていた。

人間の頭蓋骨を串刺しにしてレンガ塀の上に埋め込まれた槍の穂先は、いつからあったの
だろうか?4月14日からそれが既にあったのなら、その頭蓋骨はピーテルのものでない。

処刑が終わってから置かれたものなら、最初は本物のさらし首だったにちがいない。皮や
肉がこそぎ落ちて頭蓋骨だけになるまで、どのくらいの年月が経過したのだろうか?もち
ろんわたしは、最初から模造品の頭蓋骨を付けて恥の壁が作られた可能性を否定するもの
ではないが、その時代の人間の残虐さを思うなら、模造品などという面倒くさいことを考
える人間がどれほどいたかというポイントから悲観的にならざるを得ないのである。

今ある串刺しにされた人間の頭蓋骨はギプスで作られたものだから、怖れるには及ばない
が、最初からそうだったのかどうかについては何とも言えない。[ 続く ]