「南往き街道(5)」(2018年06月13日)

ド・イーレンスは第46代VOCバタヴィア総督を1836年から40年まで務めた人物
で、1840年にバイテンゾルフで没した。総督在任中にバイテンゾルフで没したのはか
れが唯一だったそうだ。アリ・プリンスも第53代と55代の二度総督を務めた人物だ。
但し、二度とも臨時総督だったのだが。

別の折にわたしは植物園内のその墓地を探してみたが、見つけることができなかった。今
インターネットで情報を探ると、植物園第2ゲートの近くであることがわかる。

第2ゲートは植物園外周の西側のジュアンダ通り中央付近にあり、郵便局の脇が入り口に
なっている。ジャボデタベッコミュータ電車でやって来ればそのゲートが一番の最寄にな
る位置にある。

その郵便局は元々エクメーネ教会として建てられたものだ。1845年4月13日にヤン
・ヤコブ・ロフセン(Jan Jacob Rochussen)第50代総督出席のもとにオープニング式典
が行われ、それ以来クリスチャンとカソリックが交互にミサを行う共用教会として使われ
た。

しかしまずカソリック側が1896年にバンタマーウエフ(Bantammer Weg、今のJalan 
Kapten Muslihat )にカテドラル教会(Gereja Katedral) を建ててそこから去り、残った
クリスチャン側も1920年にゼバオツ(Gereja Zebaoth)教会を建ててそこから移った。
エクメーネ教会からカテドラル教会はほんの150メートル、ゼバオツ教会は100メー
トルしか離れていない。

ゼバオツ教会の縁起は、最初ファン・リンバーフ・スティルム(J.P. Graaf Van Limburg 
Stirum)第66代総督がボゴール宮殿表門に荘厳な教会を建てることを呼びかけたことに
始まる。完成した教会は最初ウィルヘルミナ女王教会と名付けられ、ミサは植民地政庁高
官や西洋人の貴顕淑女だけを対象にして、オランダ語でのみ行われた。建物の上に風見鶏
が設けられたため、ゼバオツの発音に苦しんだプリブミたちはニワトリ教会(Gereja 
Ayam)と呼ぶようになり、今日に至っている。

使われなくなったエクメーネ教会はバイテンゾルフ市庁が郵便局として使うことを決め、
今現在もインドネシア共和国が郵便局として使用している。

ジュアンダ通りが南に下りきると植物園の南縁に沿って東に向きを変える。そしてスルヤ
クンチャナ(Surya Kencana)通りが南から突き当たってくる三叉路でジュアンダ通りは終
わり、その先はオティスタ(Otista)通りと名を変えてバタヴィアとバイテンゾルフを結ぶ
街道に向かって直進して行くのである。

ボゴール植物園のメインゲートは、そのスルヤクンチャナ通りが突き当たってくるところ
だ。そしてメインゲートを入ってすぐ左側の一帯が、研究施設の集まっている場所になっ
ている。[ 続く ]