「南往き街道(24)」(2018年07月11日) 1920年代初めごろに、チリリタンにバタヴィア最初の飛行場が設けられた。オランダ 領東インドで最初の飛行場は1914年にオープンしたスバン(Subang)のカリジャティ (Kalijati)飛行場であり、チリリタンではない。 チリリタン飛行場の使用がいつから開始されたのかは記録がないためによくわからないが、 フォッカー機によるアムステルダムからバタヴィアへの初飛行が1924年11月に行わ れているので、1920年代初めごろではないかと目されている。そのときの飛行は途中 で墜落事故が起こったことから、55日かけてやっとバタヴィアのチリリタンに到着した。 第二回トライアルは2017年10月で、このときは10日間でバタヴィアまで飛来した。 もう一度トライアルが行われた上でKLMはオランダ〜バタヴィア〜オーストラリアとい う旅客輸送ルートを作って活動を開始する。 1940年にウエルテフレーデンからほど近いクマヨランに国際空港が設けられるまで、 チリリタン飛行場はオランダ植民地政府の空軍基地および民間商業フライトの空港として 機能した。共和国独立後はハリムプルダナクスマ空港と名が変わり、インドネシア空軍の 基地としての地位を保っているが、民間商業フライトの空港としての働きも兼ねていて、 オランダ時代と似たようなことが続けられている。 チリリタン飛行場については、拙作「ジャカルタ国際空港史」にも記載があるので、併せ てご参照いただければ幸甚です。 http://indojoho.ciao.jp/koreg/libdrajkt.html 警察病院から3キロほどボゴール街道を南下すると、クラマッジャティ中央市場(Pasar Induk Kramat Jati)がある。生鮮野菜と生鮮果実のための中央市場の建設が開始されたの は1972年のことだ。総面積14.7Haの巨大な市場が完成して1974年2月3日 に活動が開始された。 東南アジア最大の市場のひとつと言われているクラマッジャティ中央市場には、全国から ありとあらゆる野菜と果実が集まってくる。スパイスももちろんその一部であり、希少種 や消費量がとても採算に合わないようなものすら、この市場内を探せば必ず見つかる、と 言われている。 ここは首都圏の中央卸売市場の機能を持ち、全国各地から集まってくる野菜や果実がいっ たん集積され、それが首都圏各所にある在来市場に散っていく流れのハブの位置を占めて いる。流通機能上は卸売りとされていても、個人消費者が買いにくるのを拒む姿勢はゼロ だ。インドネシアではいくら卸売りという看板を掲げていようとも行われているのは数量 割引システムに他ならない。要するに、大量に買えば単価が廉くなり、少量しか買わない なら単価は高くなる、という原理がそれである。購入者に資格的な制限を設けて差別する ようなスタイルを執らないところがインドネシアらしさと言えるかもしれない。[ 続く ]