「南往き街道(32)」(2018年07月23日)

ジャゴアンというのは男一匹であり、たいていがプンチャッシラッ(pencak silat)の使い
手で、刃物を使う格闘技もお手のものだった。歴史家アルウィ・シャハブ氏はジャゴアン
に関して、次のように説明している。


卑怯なふるまいは男の恥であり、言行一致が本領で、他人から挑戦されたら必ず受けて立
つのが真のジャゴアンだった。その心意気を示す警句が「lu jual, gue beli」(売るの
はおめえで、買うのはオレだ)であり、自分は売る側に回らないが、売られたなら背を向
けることはせず、勝つか負けるかを競い合う。並大抵のことで刃物(普通はgolokと呼ば
れる鉈)は鞘から抜かないものの、一度抜いたらそれが血塗られずにはおかない。

そのためかれらの愛用する鉈をかれらは神聖視するようになり、日本の武士にとっての日
本刀のような精神性が発現したことは興味深い。鉈を持ちまわるのは体面なのであり、そ
れを鞘から抜かないのが上策だという思想だ。氏の説明に戻る。
「罵詈雑言など相手にしない。よく吠える犬のたとえで、吠えるばかりで噛みつこうとし
ないのだから、そんなものは自分の相手でない。しかし、もしも手が出たなら、ちょっと
待てはないのだ。即座に叩きのめすだけだ。」

他人から搾り取るのはジャゴアンのすることでない。貧しくとも正業に就き、弱者を扶け、
真理を守る。他人の気持ちを傷つけ、罵詈雑言を浴びせ、殴り、傷を負わせ、殺すような
ことは、不徳の行いである。

真のジャゴアンは人生哲学を持っている。己の一生一死は自分がいかに徳行を積んだかと
いうこと次第なのだ。生きている間に善を施して行けば、自分の死はアッラーの思し召し
の通りになる。そういう人生観を持てるジャゴアンたちは、日常生活の中で自分のカンプ
ンのウラマと協力的にものごとを遂行した。かれらは六信五行を実践し、大勢がハジにな
っている。

カンプン間の諍いが起こると、結局各カンプンのジャゴアンが出馬して談合し、問題を収
める。収まらない問題はまずなかったらしい。カンプンの中で住民の誰かが強盗や窃盗の
被害を受けると、ジャゴアンはそれを恥じて徹底的に犯人を探し出した。ジャゴアンが自
分の立場や地位にからめてカンプン内の治安を自己の問題として取組んだことから、カン
プン住民の尊敬心や依頼心は大いにジャゴアンに傾いた。雇用や任命とは異なる精神的な
ものが底流にあったということのようだ。[ 続く ]