「バリ島の生みの母は山か?」(2018年10月03日)

3万3千年前の噴火で、バトゥル(Batur)山は10キロx12キロの楕円形のカルデラを
作った。バンリの?北にあるパネロカン部落(Dusun Panelokan)やキンタマニのバトゥル村
(Desa Batur)がカルデラのお椀の縁にある。火山性物質は南西に向けて70キロも空を飛
び、また地上を流れた。それがいま、バリ島の美しい大自然の一部をなしている。

火山の恩恵はそればかりでなかった。バトゥパラス(batu paras)あるいはバトウパダス
(batu padas)と呼ばれる白やクリーム色の石はレリーフを刻み込むのにもってこいの素
材であり、それがバリ独特の建築様式に彩を添えている。おまけにその伝統がバリ人の石
彫技術を培い、技能と経済力というメリットをバリ文化にもたらしたのである。

ギアニャル県シラカラン(Silakarang)一帯は良質のバトウパダス産地であり、バトゥル山
のカルデラがそこに与えたものがそれだった。ギアニャル県プタヌ(Petanu)川に沿う黄色
がかったクリーム色の壁は、パダス石が切り出されたあとのまっすぐな姿を示している。


石はそれほど硬くなく、さりとてバラバラとこぼれ落ちるほど軟らかくもないので、切り
出しは電動のこぎりで行われる。バトゥパダスの商業化は大昔から行われてきた。縁起を
1832年とするシラカラン伝統村の寺院プラプセ(Pura Puseh)は材質の良さと優れた
石彫技術を示す代表的なサンプルだとバリ島の専門家は語っている。

バリ島の輸出産品の中に、バトゥパダスの石彫がある。2014年輸出統計によれば、こ
れは米国・オーストラリア・日本などへ輸出されて1,470万米ドル相当の外貨をもた
らした。

天然の摂理はマスプロのような均一性をもたらしてくれない。そこにこそ、稀にしか得ら
れない素晴らしいものと、そうでない多数のものという違いが生じる。残念ながら人間の
クオリティもそうなっている。

バトゥル山はある場所に素晴らしいものを与えたが、別の場所にも見かけの異なるものを
与えた。火山性物質が山本体の土石を溶かして流れ込んだ場所には、色違いでもっと粗く
硬い層がバトウパダスの中に混じり込んだのだ。パクリサン川(Sungai Pakerisan)一帯の
崖からグヌンカウィ寺院(Pura Gunung Kawi)に使われている建築資材に、われわれはそ
の違いを見出すことができる。

トゥカダユン(Tukad Ayung)川、トゥグヌガン(Tenegungan)の滝、ギアニャルのヒドゥ
ンキャニオン(Hidden Canyon)などでも、バトゥル山がもたらした石の美しさを鑑賞でき
る。


バトゥル山の頂は三つの峰がくっついて並んでいる。一番高い峰が最初にできたバトゥル
火口でカルデラの中央に位置し、二つ目と三つ目が南西に向かって一直線に並んでいる。

このカルデラの中からお椀の縁の外一円にかけて作られた村々がバリ島の古代と深く関わ
っているのは周知のことになっている。考古学者によれば、バリ島北東海岸部にあるスン
ビラン(Sembiran)、ジュラ(Julah)、ボンダルム(Bondalem)、テジャクラ(Tejakula)など
の地区は、紀元前2世紀半ばごろ既に中国やインドの船が訪れて交易が行われていたそう
だ。それらの地区で発見された特定文様のある陶器、ガラスのビーズ、黄金製葉形の眼帯、
金属の破片、銅鏡などから、その説が立てられている。その海岸部の村々は山岳部のキン
タマニときわめて深い関係を持っていたときもいうのが定説になっている。