「わが祖国」(2018年11月21日)

ライター: インドネシア大学文化科学部教官、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2009年3月20日付けコンパス紙 "Tanah Airku"

クロンチョン歌曲Tanah Airku(わが祖国)は間違いなくわれらの祖国の天然の美を歌っ
ている。その曲は素朴な歌詞でエキゾチックなインドネシアの地形への作者の憧憬を描い
ている。その第一連を見てみよう。
Mendalam lembah curam
di sela gunung meninggi
suatu pemandangan tanah airku
Indonesia elok-edi

そして第二連。
Sungai-sungai mengalir berliku
melalui hutan yang menghijau
menuju ke laut biru

この詩のロマンティシズムと現実の姿を重ね合わせることは難しくない。小学校のころか
ら生徒は地形名称を教えられる。laut, selat, sungai, danau, gunung, teluk, tanjung, 
等々。


ただそれらの名称は、地元言語の地形名称を忘れさせる結果を生む。おかげで日常生活に
おいては、地元言語がすでに表現していることがらにダブって使われることになる。たと
えば西ジャワでKali Ciliwung、中部東部ジャワでSungai Bengawan Solo、ランプンで
Sungai Way Sekampungといったように。それぞれの地元では、ci, bengawan, wayという
のは規模に違いがあっても同じようにsungaiを意味しているのだから。

gunungも同様に、タパヌリやアチェでdeleng, dolok, delong、ガヨでbur、ニアスでhili、
中部ジャワでgumuk、バリ・ロンボッでmunduk、スラウェシでgosong、セラムでhatu、ティ
モール・スンバでtanduluと呼ばれ、pulauはイリアンでyep, yus、リアウでtokong、スラ
ウェシ・スンバでnuha、ロンボッ・フローレスでgiliなどが使われている。別の地形名称
でも同じようなありさまになっていて、たいていの地図帳にそれに関する説明は見られな
い。せいぜい説明のない短縮形にされている程度だ。


地名や行政区画名称もユニークさではひけを取らない。さまざまな形や大きさの石がその
地を表す名称に使われている。西ジャワのBatuceper、バリBatudawa、リアウBatupan-
jang、西スマトラBatusangkar、東ジャワの山Batubelah、西ヌサトゥンガラの岬Batu-
besar、東ヌサトゥンガラの岬Batumoncong、ヨグヤカルタのムラピ山森林地区Watubo-
long。

このユニークさはわれわれに異なるものや反対のものの存在を思い起こさせ、それを総体
として眺めるときに美しいパノラマを見せてくれるのである。西スマトラにBukittinggi
があってTanahdatarがあり、中部カリマンタンにはBukitgalahがあってBukitlidiにも出
会う。

南スマトラにはMusi Banyuasin県があり、パチタンにはBanyutowo村がある。東ジャワに
はMalang市があって、中部ロンボッにはMujur村がある。

時にわれわれの地形は、天然の論争を示して見せる。東南マルクのウエタル島にはAirpa-
nasという名の海岸町があり、北スラウェシにはAirmadidiがあって勝負を挑み、バンカ島
はAirbaraを示して立ち向かう。北ブンクルの小さい町Airdikitは西スマトラのSulitair
に対抗したのかもしれない。

たまたまわたしはそのSulitairの住民と旅でいっしょになったことがある。シンカラッ湖
に近いその土地は昔、確かに不毛の土地だったそうだ。しかし技術の進歩のおかげでその
土地はたっぷり水を確保できるようになった。

わたしはうっかり、そのひとに尋ねるのを忘れてしまった。かつてSulitair住民がもし西
ジャワのSukamandi住民と友人になったり、あるいは結婚するに至ったなら、その大変さ
はどれほどだったのだろうか、ということを。