「ダリマナ?(1)」(2018年11月28日)

昔、移動通信が夜空の星のように高嶺の花だったころ、会社からにせよ自宅からにせよ、
固定電話でどこかに電話すると、呼び出し音がまず聞こえ、そして電話機を取り上げる音
がして、相手の「ヤー。」という声が聞こえる。尻上がりのヤーもあれば、いかにも物憂
げで投げやりな感じの尻下がりヤーまでさまざまだ。

話したい相手の名前を告げるとたいてい「ダリマナ?」という質問が返される。Dari ma-
na?というインドネシア語は方向を尋ねる疑問詞で、英語に直せばfrom whereであり、方
向の原点つまり由来を尋ねている。


インドネシア文化にある人間の社会行動の一端を説明するのに、次のような現象がよく取
り上げられる。知人同士が互いに交わすあいさつ言葉にKe mana?とDari mana?が含めら
れているのである。

隣人が家から出てきてわが家の前を通るとき、わが家の住人は「Ke mana?」と声をかけ
る。返事は何でも構わない。「Ke depan, sebentar.」で十分なのだ。スブンタールどこ
ろか夕暮れに戻って来た隣人が家の前を通るとき、また「Dari mana?」の声がかかる。
これも返事は何でも構わない。「Dari sana.」で十分なのである。

日本文化でも似たような言動は行われるが、インドネシアでは顔見知りになったとたんに
それの対象にされてしまうというのが日本文化との違いだろう。日本ではちょっと顔見知
りになっただけの相手に「おや、どちらまで?」などという言葉を掛けるようなことはし
ないとわたしは思っているのだが。


インドネシアでの電話の話に引き戻すと、電話してきた相手に「ダリマナ?」という質問
を浴びせる現象にはいくつかの要素がからんでいるように見えるのだが、正鵠を射ている
かどうかは保証の限りでない。

まず考えられるのは、「あんたは誰だ?」と直接的に尋ねることへの遠慮があるのではな
いかということだ。貴人の名をあけすけに述べないことが貴人に対する尊敬の表し方だと
いう観念はインドネシアどころか、古代日本にもあった。だからひょっとして地位の低い
自分が貴人に直接名を尋ねるような失礼をする可能性をミニマイズするために、場所を表
す言葉を使うのが習慣化したようなことがあったのかもしれない。たいていの王国や旧王
国で王家のひとびとは名前でなく地名や建物名で呼ばれているのが普通ではなかったろう
か。[ 続く ]