「ポチョポチョの由緒はどこ?」(2018年12月11日)

2018年9月5日付けコンパス紙への投書"Poco-poco dari Ternate"から
拝啓、編集部殿。18年8月3日付けコンパス紙の記事に、ポチョポチョはマナドが発祥
であると書かれていました。

18年8月6日付けコンパス紙6ページの記事では、ポチョポチョはアンボン語の歌で2
000年代にヨピ・ラトゥルが歌って流行したと書かれていました。作曲者はアリ・サプ
レテである、とも。

その情報がフェイスブックで、特に北マルク出身者の間で話題になっています。北マルク
住民は、ポチョポチョの歌とダンスがテルナーテのものであることを確信しています。そ
の作曲者もテルナーテに住んだことがあるのです。テルナーテ語のnganaやkita、そして
曲のイントネーションもポチョポチョの歌がテルナーテ語に由来していることを証明して
います。[ 東ジャカルタ市在住、アブドゥル・カディル・ソレマン ]


2018年9月22日付けコンパス紙への投書"Asal Poco-poco"から
拝啓、編集部殿。18年8月3日付けコンパス紙の記事に書かれたPoco-poco (Manado)
の記述はポチョポチョがマナド由来のものであるという理解を誘います。18年9月5日
付けの投書で、読者がポチョポチョはテルナーテに由来するものであると反論していまし
た。

ポチョポチョダンスに関連して、わたしの知っていることを皆さんにお知らせしたいと存
じます。このダンスは2000年にポンドッキンダのバグズカフェで始まり、程なく歌と
ダンスがジャカルタ一円で流行しました。

その年の8月11日、ハリウッドがアメリカンフットボールをテーマにしたThe Repla-
cementsという映画をリリースしました。主演はキアヌ・リーヴスとジーン・ハックマン。

その映画の中でキアヌ・リーヴスが友人たちとI Will Surviveの曲に合わせてラインダン
スを踊りましたが、それは2000年から2002年にかけてバグズカフェでわたしが見
たポチョポチョダンスとまったく同じものでした。

その映画のラインダンスは、1980年代初期にジャマイカ出身のマルシア・グリフィス
が発表した曲「エレクトリックブギ」のために作られたエレクトリックスライドダンスの
バリエーションのひとつなのです。[ 中央ジャカルタ市在住、レインハル・R・タワス ]