「アッラーは誰のもの?(後)」(2019年01月23日) エルはまた、熟語にも使われた。エルシャダイ(El Shadai =Allah Mahakuasa=最高支 配者アッラー)、エルエリオン(El Elyon=Allah Mahatinggi=最高位なるアッラー)、 エルオラム(El Olam=Allah Mahakekal=比類なき永遠なるアッラー)。インドネシア バイブル協会の翻訳者たちは、ヘブライ語でEl、Eloh、Elohim、ギリシャ語でTheosを 訳すときにAllahの語を使っている。インドネシア人一般は、ギリシャ語テオスをアテ イスト(無神論者)の一部分として知っている。テオスという言葉はラテン語のデウス (deus)やゼウス(Zeus)、更にサンスクリット語のデヴァ(deva)やデワ(dewa)に関わっ ている。英語では大文字小文字のGodやgodが使われる。 アラブ語のキリスト教バイブルでも、アラブ人キリスト教徒はアッラーの語を使う。こ の場合、アッラーはアラブ語の原語彙なのだから、翻訳云々には関係しない。根が同じ なのだ。違いは言い方あるいは用法にのみ出現する。ヘブライ語とアラブ語の言語的差 異に従うためだ。 ヘブライ語における崇拝者の呼称は、後にキリスト教徒もそれに倣うが、ヤーウェ (Yahweh)あるいはイェホヴァ(Yehovah)である。場合によってYHWHと表記されるの は、他のセミ語族と同様にヘブライ語も母音文字を持たなかったからだ。この語はHa- leluya(h)におけるYah、Yahu、Yo、などを表し、その意味は「Yahを讃えよ」あるいは YosuaやYusakなどの人名とも解される。 ヤーウェの意味自体に多分、崇拝されるべき唯一神としてのアッラーのユニークさが反 映されている。ヘブライの聖書では、モーゼが自民族をエジプトの奴隷という境遇から 脱出させるよう「祖先なるアッラー」に命ぜられたとき、かれは勇気を奮い起こして脱 出を命ずる者にその名を尋ねた。返事は、「われはわれなり。」だった。 興味深いことに、イスラエル人はヤーウェの個人名を唱えたことがない。その文字に出 会うと、かれらはそれをアドナイ(Adonai)と読んだ。その語義をわれわれはTuanや Tuhanのような尊称と理解することができるだろう。 インドネシアバイブル協会はヤーウェの名をすべて大文字のTUHANと訳している。語頭 だけが大文字のTuhanは、ヘブライ語Adonaiやギリシャ語Kriyosの訳語に使われている。 英語ではLORDやLordがそれに対応している。 歴史の流れの中で最初、中東の言語を理解しないヨーロッパ人キリスト教徒たちが、イ スラムのアッラーはかれらの言うGodと別物であると考えた。インドネシアのムスリム の一部に最近、その事象が生み出した独占感覚を誇ろうとする者が出現している。しか し言語史における足跡をつぶさに観察するなら、神との関りにおいてアブラハム系宗教 信徒はまだまだ近い関係にあるのである。[ 完 ]