「クローブ原産地は北マルク(1)」(2019年02月14日)

クローブはテルナーテ、ティドーレ、モティル、マキアン、バチャンと連なる一群の火山
島の呼称であるマルク諸島を原産地とするスパイスだ。元々はそこがマルクと呼ばれる地
方だったが、マルク地方はどんどんと南に拡張されていったために、今ではそこは北マル
ク地方と呼ばれるようになっている。

古代ローマの時代にクローブ・ナツメッグ・コショウなどのスパイス類はヨーロッパでた
いへん高価な品物として珍重されたし、古代中国王朝でも、宮廷で皇帝に拝謁する者は吐
く息をかぐわしいものにするためクローブを前もって噛んでおくという礼儀作法のために
使われたらしい。仏事の焼香にも昔から使われてきた。

マルク諸島で産するクローブはテルナーテやティドーレの市場で売買され、近隣諸国から
やってきた商船が積荷を満載して持ち帰り、スパイスロードと呼ばれる商業交通路に流さ
れて東は中国から西はローマに至るまで、流通路沿道の通商を大いに興隆させていたので
ある。


マラッカを征服したポルトガル人がマルク諸島に向かったのも無理はない。ただしポルト
ガル人が最初に訪れたのはテルナーテからはるか南にあるナツメッグの産地バンダ島だっ
た。そして偶然がポルトガル人をテルナーテに運んだ。テルナーテのスルタンはポルトガ
ル人と親交を結んで要塞を建てさせ、軍事支援をもらってすぐ隣にあるティドーレ島のス
ルタンとの戦争で優位に立った。すると太平洋を越えてやってきたスペイン勢がティドー
レに支援を与えて対抗するという状況に立ち至った。

結局スペイン勢は最終的に追い払われてポルトガルがマルクのクローブを支配し、リスボ
ンはしばらくその富で潤うことになる。そこへ後発のイギリス人やオランダ人がやってき
てマルクのクローブ利権を握るべく闘争をはじめ、最終的にマルク諸島はオランダ人の手
に握られてしまう。

オランダVOCは北マルクで生産されるクローブの完全独占を目指して、密売者の徹底排
除に乗り出した。VOCの監督下にあるクローブ農園以外に住民が勝手にクローブを育て
るのを禁止し、見つけ次第クローブ畑は裸の土地に変えられた。クローブの野生木が見つ
かれば、問答無用で切り倒された。[ 続く ]