「一国家、一民族、二言語(3)」(2019年02月18日) それらのいくつかの例を見て、われわれは何に驚くだろうか?インドネシアの読者はイン ドネシア語の文そのものよりも、( )内の言葉の方をよく知って理解していると編集者 が考えていることだ。 [ IV ] アジアの諸言語に対する英語の襲来が決してマイナーなものでないことを、われわれは認 めなければならない。アジア西端のアラブ語から東端の日本語に至るまで、英語耽溺症現 象がいかに強力にそれぞれの言語に取りついているかということを、われわれはうかがい 知ることができる。進歩した文化景観と聡明な文学の伝統を持つアラブ語や日本語であっ てすら英語の襲来を防ぎきれないのだから、さまざまな移住者があっちやこっちの文化を 寄せ集めて組み立てたインドネシア語にとっては骨の髄まで洗い流されて当然だ、とその 事実をもって語らなければならないのかもしれない。 現代アラブ語に取り込まれた英単語の姿に少しばかり触れてみよう。こんな単語はどうだ ろうか?kafitirya, buftik, aiskrim, sandawits, baib, bisklit, kik, mutusikl, sukar, bansiun. 元の英語はこの章の最後にお知らせしよう。 日本語の場合は、このような単語だ。manejasan, furutsu jusu, sandoitchi, aisuku- rimu, chizu, keki, bisuketto, hotto doggu, konsato horu, shopingu senta. 対応する英単語については、これもこの章の最後でご覧いただきましょう。 アラブ語と日本語の例でわれわれが興味惹かれるものは何だろうか?それは他でもなく、 自文化に特有の伝統的な発音に即して英単語を自国語の中に取り込む勇気なのである。 実際には、わが民族もその勇気を持っていた。19世紀初頭のイギリス統治時代以降、 ヌサンタラの地に根付いた英単語については、アブドゥラ・ビン・アブドゥル・カディ ル・ムンシの作品「Dari Hal Tuan Raffles」の中にも見ることができる。 古臭い響きを持つ次のようなインドネシア語の語彙が英語に由来するものであったこと を思い出してほしい。terup, dokar, cikar, peri, musti, peluit, siul, sama, hore, justru. これも元になった英単語との対照は章末でお願いしよう。[ 続く ]