「一国家、一民族、二言語(8)」(2019年02月25日)

[ VII ]
しかし、それを見るにおよんでも、われわれはインドネシア語の真の姿を目の当たりにす
ることになるのである。インドネシア語とはありとあらゆる間違いを含んだものである、
ということを。だから結局のところ、「善くて正しい」のスローガンはでっち上げコンセ
プトだと言われずにはおかない、やっかいなコンセプトだという印象の拭えないものにな
る。

これから、インドネシア語の成育過程において理解面と転記面で起こったいくつかの間違
いをお目にかけよう。きっと読者の興味を引くであろうことを、わたしは確信している。
まず意味の誤解のケースから。

1.tuhan
この単語を記す最古の文書は、1678〜1701年の間トゥグ(Tugu、現在の北ジャカ
ルタ市)で神父を務めたメルヒオル・レイデッカー(Melchior Leijdecker)の作になる新
約聖書の翻訳版である。この単語はtuanに由来しているのだが、ムラユ語翻訳版の中で人
間と神との違いを際立たせようと意図した結果、救世主の呼び名としてhの文字が付け加
えられた。ムラユ語に翻訳される元にされたのはオランダ語聖書であり、その中で救世主
の呼び名はheere、つまりムラユ語のtuanとなっているのだ。

2.kepala
この語の源はイタリアの建築用語cupolaである。建物の屋根の上に付随物あるいは装飾と
して設けられた一番高い部分のことだ。それがsirah, hulu, tendasの意味からkepalaと
なった。

3.mariam
ムラユ人が相変わらず弓矢や吹き矢を飛び道具にしているとき、ポルトガル人が轟音をと
どろかせて吹き飛ぶ大砲を持ってやってきた。大砲に点火する時ポルトガル人はまず聖母
マリアの名を唱えながら十字を切った。ムラユ人はそれを大砲と言う物の名前にした。

4.cinta
この言葉はスペイン語の中で、単なる「ひも」を意味している。東部インドネシアでひと
びとは、夫婦になるために愛を誓いあうとき、互いにひもで結びあわされた状態で誓いの
言葉を口にしなければならなかった。「ひも」という言葉が愛のシンボルとなった。
[ 続く ]