「ジャワの田舎にGlenmoreがある(2)」(2019年03月05日)

どうしてこのような地名が付けられたのか。定説はなく、諸説が入り乱れている。最有力
なストーリーは、スコットランド人貴族ロス・テイラーが1910年にその地を開いて地
主になり、農園事業を行ったことに由来しているというものだ。それによれば、その名称
はロス・テイラーが自ら命名したもので、地元プリブミもオランダ行政官も大いにテイラ
ーに敬意を払ったことから、英語名称が地名として定着したと言う。

ロス・テイラーの農園事業投資に先立って、オランダ本国議会で自由主義が強まり、開放
経済方針が東インド植民地に及んできたことが、スコットランド人貴族の登場に幕を開い
たということらしい。16万3千Haという広大な丘陵の地主になったかれは、他の地区
からジャワ人やマドゥラ人を集めてそこに入植させ、農園労働に使ったようだ。つまりそ
こは、在来原住民が伝統文化の中で築き上げた土地でなく、種々の文化を背負った人間が
集まってきて作ったひとつのハイブリッド共同体だったのだ。英語名称での地名の定着を
支える要素がそこにあったということなのかもしれない。

グレンモア地区では植民地行政が惜しみなく支援を与えて、スコットランド人貴族の農園
事業の発展を盛り立てたようだ。この地区には1910年から1927年までの間に設け
られたオランダ風建築物がたくさん残されている。鉄道線路が通り、当時作られた鉄道駅
がいまだに使われているし、駅長官舎やオランダ人農園監督官の公邸、あるいは川をまた
ぐ橋なども依然としてその機能を果たし続けている。

もうひとつの説では、18世紀にスコットランドのカソリック教徒がオランダに保護を求
めて亡命してきたため、オランダ政府は亡命者を東インドに入植させることに決めてジャ
ワ島東端のこの地に送り込んできたというものだが、もしかれらが命名者であるなら、地
元プリブミたちはきわめて古い時代からその地名になじんできたということが言えるだろ
う。しかし元々あった地元言語の地名を地元民が外来語に取り換えるには、何かもうひと
つのインパクトがなしには済まないのではあるまいか。

グレンモアというのはスコットランド人もしくはアイルランド人が使う名称だそうで、世
界のあちこちに同じ名前の地名が存在している。グレンモアは現在バニュワギ県の郡の名
称になっていて、行政区としての村レベルでその名前を持つところは存在しない。
[ 続く ]