「犬税史」(2019年03月13日)

1906年、オランダ植民地政庁は鑑札を付けていない飼い犬が路上や空き地で見つかっ
た場合、飼い主に15ルピアの罰金を科す規則を制定した。狂犬病はそれ以前から社会問
題になっており、予防注射を行った犬に鑑札を付けさせ、野犬狩りを行って狂犬病保菌源
を断つシステムを行ってきたものの、満足できる成果が生まれないためにそれを徹底させ
ようとして罰金制度を行ったにちがいない。

その延長線上に犬税が生まれた。インドネシア語はpajak anjingで飼い犬と表現していな
いため、わたしも飼い犬税と呼ぶことはしない。

日本軍政期も日本人はオランダ時代の諸税をそのまま踏襲したため、その中には犬税・自
転車税・船荷売買税などが含まれていた。


ジャカルタで犬税は、6カ月を超えた犬なら種類を問わず一頭年間20ルピアというのが
1965年の税額で、当時は最高級のチアンジュル米がリッター350ルピア、牛肉がキ
ロ当たり2,750ルピアという物価状況だった。

そのころ納税月は1〜2月で、期限を越えると罰金のために5割増しになったそうだ。納
税はモナスに近いクブンシリ通りの市会計役所を訪れて、Pajak Anjingと書かれた窓口で
支払った。ほっかむりを決め込むと、督促状が自宅宛てに郵便で送られてきた。

1965年はジャカルタにおよそ1万5千匹の飼い犬がいるというのが定説だったにもか
かわらず、納税者は3千2百人しかいなかった。その心理傾向は現在のオートバイ自動車
税の納税状況へしっかりと受け継がれている。


インドネシアでは、地方の村へ行くと夜間飼い犬を家の外に放して夜警をさせる習慣があ
る。夜中によそ者が村へ入って来ると、大勢の犬が吠え掛かるのだから、村民はすぐに気
付くという寸法だ。わたしが南ジャカルタに住んでいたころも、夜になると外へ犬を放す
家がいくつもあったし、今いるバリ島の田舎の村でも、夜中は犬たちがキングオブザロー
ドになっている。犬たちも喧嘩するし、弱い犬いじめも頻繁だから、悲痛な犬の鳴き声に
心を痛める夜もある。

夜であれ昼であれ、犬を外に放す場合、昔は規則が定められていた。犬の口を塞いで咬み
つけないようにすること、首には2メートルまでの鎖をつけること、そして狂犬病予防の
ためにワクチン注射を年二回行うことが義務付けられ、言うまでもなく予防注射は外へ出
す出さないに関係なく行われた。

野犬狩りは年々そこそこに行われていたが、1968年に屋外にいる犬が三倍半に激増し
たため、1969年に野犬狩り大作戦が行われた。

有効期限内の鑑札を付けている犬は野犬として捕まえられないわけだが、付けていなかっ
たり期限を越えていたりすれば野犬の可能性が強いとして捕獲される。捕獲された犬は一
週間収容されるから、飼い犬が戻って来ない飼い主は収容施設へ探しに行く。収容施設側
は一週間経過したのにまだ引き取られないでそこにいる犬を処分する。そしてその肉はラ
グナン動物園で飼われている肉食獣の餌にされていたらしい。

犬税はオルバレジームの初め頃まで実施されていたようだが、そのうちに徴税側が諦めた
ようだ。犬税は地方税だったようだから、徴税を実施した自治体としなかった自治体が混
在していたため、徴税に注力しようが手を抜こうが、ナショナルレベルの問題にならなか
ったのだろう。

ジャカルタについては、犬税の地方法規がまだ生きているそうだから、都庁がいつ復活を
言い出すか分からないという要素が存在していることを忘れてはなるまい。