「国家の歌詞を変更せよ」(2019年03月14日)

2018年10月27日付けコンパス紙への投書"Merdeka Menjadi Mulia"から
拝啓、編集部殿。われらの国歌インドネシアラヤの歌声を耳にするたびに、わたしはいつ
も気に掛かるのです。その歌詞の中にピッタリしないところがあることを。

WRスプラッマンがこの歌を作ったとき、植民地支配者の権力はまだインドネシアをがん
じがらめにしていました。しかしそのころ、民族と祖国を戴く人間集団としての自尊自立
意識はインテリ層に育っていました。それがスプラッマンの作曲したこの歌のテーマなの
です。インドネシア民族闘争は植民地支配の鎖から自らを解放し、主権を持つインドネシ
ア民族と独立インドネシア国家を作り上げることであるというのがそれでした。

そのインドネシア民族の闘争精神をスプラッマンは三節の歌詞に盛り込みました。ところ
がわれわれは普通、第一節しか歌っていません。

わたしがズレを感じているのはリフレインの歌詞Indonesia raya merdeka, merdeka, ta-
nahku negeriku yang kucintaの部分です。この歌詞はあたかもIndonesia merdekaがイン
ドネシア民族闘争の究極目標であるかのような印象をもたらします。その見解は間違って
いるというのがわたしの意見です。

ブンカルノはさまざまな演説の中でいつも、独立はわれわれが建設しなければならない黄
金橋であると例えました。そして、その橋を渡って偉大で豊かなインドネシアに到達しな
ければならないのだと。闘争の最終目標は独立インドネシアではないのです。独立はその
先の闘争のための土台なのです。

つまり民族と国家のkemerdekaanではなく、kemuliaanこそが目指すべきものなのであり、
偉大にして繁栄するインドネシア共和国統一国家を作り上げることこそが真の目標だった
のです。

間違った見解はリフレインの歌詞を次のように直すことで正さなければなりません。リフ
レインの歌詞は次のように歌いましょう。Indonesia raya merdeka, merdeka, tanahku 
negeriku yang kucinta. Indonesia raya mulia, mulia, hiduplah Indonesia raya.
小さい変更ですが、その意味するところはたいへんに広いのです。
[ ブカシ在住、ストリスノ・ムハンマッ ]