「マナドのブカプアサはカツオパン」(2019年05月24日)

プロテスタント教徒が64%、カソリック教徒が5%で、住民のほぼ7割がキリスト教徒
である北スラウェシ州マナド市の住民の中で、ムスリムは約3割を占めている。当然なが
らその3割のムスリムたちは今、断食の行の真っただ中だ。

ラマダン月の断食は日没とともに終わる。マグリブの時を告げる太鼓の音とモスクのスピ
ーカーから流れる呼び声を待ちかねていたかれらは、水を飲み、コルマの実を口に入れる
のである。それがブカプアサの行いだ。

もちろん食べ物はハラムである限り、内容を問わない。コルマの実でなく、本格的な食事
を摂ってももちろん構わないのだが、それは医学的に勧められないことだ。まずは消化器
官に優しいものを摂取するのが当然だろう。


マナド市ウェナン郡イスティクラル町はカンプンアラブと呼ばれている。マナドのこのカ
ンプンアラブでは、ラマダン月にだけ作られるブカプアサのための食べ物が販売されてい
る。それがroti kukus isi cakalangつまりカツオ入り蒸しパンと呼ばれているものだ。
だが本当は、蒸しパンではない。

小麦粉に少量の砂糖を混ぜてミルクで溶き、できたドウを平らにのばす。カツオは焼いて
から身をほぐし、ビーフンを炒めて具を用意する。具をドウに載せて巻き、それをオーブ
ンで焼くとできあがり。バワンゴレンを振りかけたロティククスにココナツミルクをかけ
て、しんなりした状態で食べる。カツオのうま味とほんのりした塩味、しんなりした焼き
パンの生地が断食明けの口に滑らかで、そして腹の中に容易にすべり落ちて行く。

このロティククスのファンは、断食中のムスリムばかりか、イスラムの断食と無縁のキリ
スト教徒の間にも少なからずいる。宗教文化をディコトミーの基準に使おうとするひとに
は納得しがたい行為に見えるだろうが、地縁を生活共同体の基盤に置くひとびとにとって、
それはまったく自然な行為なのである。宗教文化より先に、まず人間の共同体があったこ
とを忘れてはなるまい。長い人類の歴史の中で、宗教は人間を文明化すると同時に、異宗
教文化を排斥させるように習慣付けてしまった。人間がその本源に回帰しようとするなら、
宗教文化の存在より先に人間が存在していたことを思い出すべきだろう。

ラマダン月が始まると、カンプンアラブ住民の中にカツオ入り蒸しパンを作って他の断食
者に販売する家庭がある。その家庭では、作ったおよそ70個の商品を夕方、道路脇の販
売場所に持って行き、購入者が来るのを待つ。たいてい、マグリブのアザーンの前には売
り切れるらしい。

ところが魚肉を使うという、まるでアラブっぽくないこの食品が、いつからブカプアサの
ために用いられるようになったのか、その起源を一家のだれも知らないのである。


アルマシュフルモスクのイマムはその来歴について、マナドのアラブ系住民はもともとヤ
ギ肉を載せたロティチャナイにカレーなどの汁をかけて食べていた、と物語る。しかしマ
グロやカツオの宝庫であるマナドでは、ヤギより魚肉の方が豊富であるため、おのずとコ
ストも安くなる。つまり外来者の伝統文化が地元文化と融合して新しいものが創出された
のがその蒸しパンなのだ、とかれは説明した。

アラブ人が最初ヌサンタラの各地にやってきたのは、元々が通商のためであり、移住を目
的としたものでなかったのは、初期の華人の状況とよく似ている。そして通商のために短
期的に定住するようになり、地元の娘を妻にめとることが行われはじめた。

サムラトゥラギ大学歴史学者はマナドのアラブ系住民の歴史について、アラブ系住民が増
加するようになってから、1800年代にマナドのカレシデナンは人種別のセグレゲーシ
ョンを行った、と語る。「しかし住民はたとえ居住地が別けられても、分裂や対立に向か
うことなく、相互に融合し合うという都市化現象を起こした。外来人種や異宗教文化は地
元のものと互いに交流し、相互信頼と尊敬によるインクルーシブなものへと変化して行っ
た。マナドの異人種異文化に対する寛容性は現在まで継続している。」