「アマチュアテロリストたち(終)」(2019年05月24日)

二つ目は、ダエシュ信奉者のイスラムに関する学問知識が薄弱なことだ。たとえばかれら
はアルクルアンのアルバカラ章256の一部でしかない「タグッ(宗教の敵)に敵対せよ」
という句だけを抜き出し、それに焦点を当てることを好む。かれらのドクトリンも死だ。
「タグッを否定できなければ、汝の信仰は不完全である。もっとも高位の否定はかれらに
闘いを向けることである。」

悔悛してイスラムを学び始めた犯罪者や、家族や経済の問題あるいは抑うつ症を抱える者、
等々がこのようなドクトリンに出会うと、即座にそれに従ってしまう。ましてやかれらに
とっては「タグッと闘って死ぬことが、最も崇高な死である」なのだ。行き着くところは、
テロが宗教の完成のための道になる。

このパターン推移に関連して、われわれは民族として何を行うべきなのだろうか?
まず、かれらアマチュアテロリストの行動のための動機がイデオロギーでないことを指摘
しておこう。だが、宗教知識という側面を見るなら、アマチュアテロリストたちの宗教理
解はきわめて浅薄だ。かれらはイスラムを学習中の人間なのである。しかもかれらが習い
覚えているものは、宗教学上の体系に沿った明白な源泉からのものではない。ウエッブサ
イト、ユーチューブ、そしてフェイスブック・ワッツアップ・テレグラムなどのソスメド
がかれらのイスラムに関する情報のレファランスなのである。その結果、宗教の別の視点
を永遠に持つことのできないエコーチェンバーの中にかれらは住むことになる。

だからこそわれわれは、宗教をひとつの源泉だけから学び、ひとりの宗教師にだけ熱烈に
師事することを避けなければならないのである。

二つめとして、このアマチュアテロリストたちが危険なのは、常に熱心に敵を見つけよう
と振舞っていることだ。精神的な渇望不安を持つ若者、外国に居るインドネシア国民で宗
教性の向上を欲している者、宗教の道を通って神に近付きたいひとびとなどが、実に皮肉
なことに、テロ組織のリクルートターゲットになっている。

アマチュアテロリストにとってそれらのひとびとは、自分の人生に何かが欠けたり、ある
いは失われているために、何かを求めている人間なのである。それゆえに、親は自分の子
供がインターネットに十分なデジタルリテラシーで接しているかどうかを確かめなければ
ならない。その一方でソスメドをポジティブな情報で満たさなければならない。インドネ
シアがかれらアマチュアテロリストのゲームボードにされ続けるのを見たくなければ、中
道ムスリム層は動き出さなければならないのだ。

最後に、政府は宗教関連のインターネットコンテンツ制作者に対して、読者への勧告を掲
載するよう呼びかけなければならない。読者は最寄りの熟達したウスタズに相談するよう
に、と。なぜなら、イスラムの宗教知識は学習初期レベルの知的能力で解釈してはならな
いものなのである。そのようなことをすれば、ラディカル思想追従者を増やすばかりにな
ってしまう。イスラムを学びたいひとがインターネットと検索エンジンのアルゴリズムに
助けられてダエシュ型の思想に出会い、堪能なウスタズのリチェックを受けないままに自
己の知的能力と心理状態に従って我流にその内容を消化したなら、バタムのギギやラモガ
ンのハンドカタパルト戦闘士をまたひとり、インスタントに作り出す結果になってしまう
だけなのだから。[ 完 ]