「ラマンとマンジャランミントゥオ(後)」(2019年05月28日) ラマンの作り売りは親の手伝いをしながら見よう見まねで覚えたとアスニさんは語る。ラ マンは普通、タペtapai/tapeまたはルオluoをつけて食べるのだそうだ。ミナンのタペは たいてい黒もち米ketan hitamで作る。黒もち米を煮たあと、ラギragi(イースト菌)を加え て発酵させ、二日ほど置いておくとアルコールが滲出して甘みが出て来る。 ここまで書いて、ブタウィにも同じものがあるのを思い出した。ブタウィではルマンでな くウリuliが使われる。ウリの語源は多分華南語のいずれかだろうと思われるが、確証をま だ見つけていない。 ウリは日本の餅そのものであり、白もち米を煮てから、まだ熱いうちに米粒を手で握りつ ぶして半搗き状態にし、冷ましたものだ。それに黒もち米のタペを付けて食べるのは、ミ ナンカバウのラマンタペと変わらない。強いて違いを言うなら、竹筒に入れて焼き上げら れるルマンの野趣と手で握られたウリの滑らかさに絞られるかもしれない。 運よくラマンを三本手に入れた客は、ロネルヴァと名乗った。ロネルヴァさんはパダン市 内に住んでおり、3年前に結婚した一人娘がコタタガに住む姑の家にマンジャランミント ゥオするので、ラマンを持たせるために買いに来たそうだ。 「結婚した初年のマンジャランミントゥオに娘はリマウハルムとラマンと何種類かクエを 持っていきました。姑の家族みんなのために。2年目からは姑のためにラマンだけを持参 してます。」 中には嫁と姑が相談ずくで、ラマンすら持たないで来てもよい、ということにするところ もあるらしい。昔は嫁の家が、あるいは嫁自身が自分でラマンを作っていた。しかし都市 化が進むにつれて、竹とバナナの葉を獲りに行き、材料をそろえたとしても、最後の数時 間かけて焼くという作業が環境にそぐわないものになってしまった。必然的にラマンの作 り売りという専業化が進行することになる。 ミナン文化研究者はマンジャランミントゥオのシンボルがラマンだ、と言う。嫁が姑にお やつを進呈するわけだが、ラマンは他の菓子類よりもずっしりと腹にたまる。ミナン人姑 たちはその満腹感を至上のものとしてラマンを筆頭選択肢にあげるのである。その傾向は パダンやパリアマンなどミナンカバウの海岸部できわめて強い。 一方、古来からの王都パガルユンを中心とする内陸部では、ラマンよりも軽い菓子類のほ うがマンジャランミントゥオの手土産として一般的なのだそうだ。ミナンカバウにおける 内陸部と海岸部の違いはそんなところにも表れている。[ 完 ]