「ダゴの滝とシアム王の石碑(1)」(2019年06月03日) バンドン市内北部をずっと北に上って行くと、ダゴ(Dago)バスターミルからあまり遠くな いところにダゴの滝(Curug Dago)がある。周囲のうっそうたる森に包まれた中をチカプン ドゥン(Ci Kapundung)の水流が走り、地形の段差を超えておよそ15メートルほどの白い 奔流が滝つぼに落下している。ここがバンドン市内であるとは思えないような雰囲気の場 所だ。 滝の周辺にあるふたつの大岩にタイ文字が彫り込まれている。1989年にそれを見つけ た地元民の報告で、得体のしれない文字が彫り込まれた岩の発見というミステリーめいた 騒ぎになった。 調査の結果、それはタイ文字であることが明らかになり、おまけにその彫字がタイ国王の 仕業と判明したことから、俄然ダゴの滝はその株が大いに高まることになった。 タイ国王ラマ五世は蘭領東インド(オランダ植民地下の現在のインドネシア)を1870 年に訪問して、地元の官民こぞった大歓迎を受けた。そのときに名前の不詳なムラユ華人 が長編詩を作って、世間に巻き起こったユーフォリアを叙述している。この長編詩は4行 のパントゥン形式が1連をなし、全編が145連で成っている。おまけに続編がいくつか あり、同一作者かどうかはわからないのだが、ともかくそれがたいへんなユーフォリアだ った感触は現在のわれわれにも感じ取ることができる。 インドネシア文学もしくはムラユ人文学の勃興当初に活躍したのが華人プラナカンであり、 その長編詩は華人ムラユ文学時代初期のもので、印刷物として残っている貴重な資料であ ると位置付けられている。 その詩に謡われた内容によれば、タイ国王はシンガポールから4隻の船で多数の随行者た ちとともにバタヴィアに到着し、港から馬車で市内に入った、とのことだ。通過する道路 は官民あげての大群衆に包まれ、礼砲が三発撃たれ、すべての建物にはタイ国旗とオラン ダ国旗が並べられ、軍兵が整列行進し、カンポン住民も槍と礼装で道端に整列した。 国王はバタヴィアで軍施設・倉庫・病院・孤児院・宗教施設などを見学してから博物館を 訪れて豊かな陳列品に感動し、何かを記念に贈りたいと考えた。そのあと、教会やチキニ 動物園をも訪問した。バタヴィアでの行事が終わると、一行は船でスマランへと向かった。 ジャカルタにある現在の国立博物館の玄関前に置かれている白象の像は、ラマ五世が18 71年に寄贈したものだ。[ 続く ]