「インドネシア人は楽天的贅沢志向者(前)」(2019年06月20日) 物事を軽く見る楽天主義をインドネシア人はグマンパンgemampangと言う。ジャワ語源の gampangに挿入辞-em-が入った単語だ。その精神傾向はもちろん、ポジティブな面とネガ ティブ面を両方持っている。これは計画性に関連しているようだ。 インドネシア人は計画を練り上げることに長けていない。長期の計画については尚更だ。 生存のために長期の計画を練り上げる必然性をインドネシアの自然が与えなかったことが その性向を育んだにちがいない。ジャワ人は「Ana dina, ana upa.」という格言を持って いる。インドネシア語に直すと「Ada hari, ada nasi.」で、要するに「明日は明日の飯 がある」とでも言うべき雰囲気の言葉だ。 ところでジャワ語の/a/は普通の[a]と[o]に近いアという二つの音を持っていて、上の格 言は「オノ ディノ、オノ ウポ。」という発音になる。インドネシア語adaに対応する ジャワ語がonoと書かれるケースが多いが、正書法はanaで発音がonoだという理解を持 たなければならない。 インドネシア人は毎日毎日、年がら年中、大自然の恵みを受けて食に困らない暮らしを営 んできた。サバイバルのために自然を徹底的に利用しつくし、一年後あるいは数年後に何 を得るためにどうする、というようなことはまったく不必要だった。 年間の一部分が雪と氷に包まれて自然の恵みが得られない民族が、できるときに何をどう しなければならず、それができない時期にはどのように乗り越えていくのかというような 計画性がインドネシア人の身に着かなかったのも、当然すぎるほど当然だったようだ。 グマンパンが生み出した思想のひとつに「Itu bisa diatur.」という言葉で示されるもの がある。ここで使われている「atur」の語義は英語の「arrange」であり、日本語の「問 題解決に何らかの手法をアレンジする」という用法とうり二つだ。 公的法的に定められた決まり事を遵守して問題解決のプロセスを行うというロボット方式 でなく、困っているのは誰でどんな要素がその原因なのか(問題というのはそのことであ る)、そこに関わっているのはだれで、どんな要素がかれの主張を軟化させるだろうか。 その構図に沿って問題を解消させるべくアレンジすることが「diatur」の内容なのである。 「Itu bisa diatur.」という言葉を広めたのは、長期にわたって外務大臣を務め、副大統 領に任じられたこともあるアダム・マリク氏だ。かれの外交手腕は「bisa diatur」精神 に彩られていたにちがいあるまい。 グマンパンを育んだ自然の豊かさは、民族精神の中に贅沢や浪費を指向する精神性をも培 ったようだ。日本人の倹約貯蓄志向と正反対のインドネシア人という対比は、昔からよく 言われていた。[ 続く ]