「インドネシア人は楽天的贅沢志向者(後)」(2019年06月21日)

ヨーロッパ人は祝宴の招待状にRSVPを記載して客人の数を把握し、それに合わせて料
理飲食品を用意し、不足せずたくさん余らせずの合理性を尊んだ。ところがインドネシア
人はそんなことをしない。招いた客が来ようが来まいがおかまいなしに大量の料理飲食品
を用意する。運が悪ければ大量の残り物を捨てるだけだ。

その慣習が一部種族に社会的見栄の実現形態としての贅沢浪費思想を植え付けた。チュコ
ンで説明したように、社会的ステータスと裕福さが裏表になっていることが浪費を裕福さ
の証明にし、社会的ステータスとしての体面を示すインジケータに使われた。祝宴で出た
大量の残り物を捨てる行為は、祝宴主催者の社会的体面を示し、そのステータスを世間に
確認させる行為にされたのである。

江戸っ子と似たような位置付けに置かれるブタウィ人は、同じように見栄っ張りな姿を持
っている。宵越しの金は持たないという思想はまるで双子の兄弟だ。

食事も同じ料理を続けて食べることを嫌い、朝昼晩違うおかずが作られる。残った料理は
腐るから捨てられる。作る方は満腹してもらおうと思って作るから、必要量よりたくさん
作ることになる。そうすると余り物が出る。それが食卓に見られる贅沢浪費思想の実践形
態なのである。

ジャワ哲学には質素を尊ぶ思想もあり、経済合理性は決してかれらに無縁のものでない。
しかしブタウィ人の哲学ははるかに一攫千金的な傾向が強く、質素倹約貯蓄ということが
らへの尊重姿勢は低いように見える。ブタウィ人の妻を持ったジャワ人のぼやきをわたし
は聞かされたこともある。


浪費指向は金使いの荒さに現れる。観光客の中で最もすさまじい買い物をするのはインド
ネシア人だという定評が昔のシンガポールにはあった。数年前にはフランスのパリで、た
くさん買い物をしてくれるアジアの観光客はインドネシア人だという表明をギャラリー 
ラファイエットが出し、店内の案内係にインドネシア人客向けの担当者を置くという話が
出たことがある。

インドネシア人は買い物だけでなく、ひとにお金をあげるのも好きだ。シンガポールの観
光業界はインドネシア人のチップもなかなかの金額であることを喜んでいた時代があり、
ジャカルタでもホテルレストラン業界で金持ち客のチップが大きいことは有名な話になっ
ていた。2000年代初め頃、25万ルピアのチップをもらった者があるというのがちょ
っとした話題になった。

インドネシア人が外国人にプレゼントを進呈するとき、結構金がかかっている品物が贈ら
れることはよくある。多分、贅沢と見栄と体面がそのプレゼントに溶け込んでいるにちが
いない。新米駐在員がローカル業者からそのようなプレゼントをもらうときは、気を付け
るに越したことはあるまい。[ 完 ]