「インドネシア語の異音」(2019年06月21日) ライター: 文学者、アンディッ・ワヒュ・スリスティヨ ソース: 2001年4月21日付けコンパス紙 "Tata Bunyi Bahasa Indonesia" インドネシア語標準文法(1997年)を読んだ時、最初はすべてが完璧だと感じた。と ころがその感覚に誤りがあることが明らかになった。そのひとつは語中にあるdの位置に もとづく異音、つまり音素のバリエーションである。その書の中に記されたインドネシア 語における音韻体系の中で異音が不十分な音素が11、異音が不適切なものが2、そして 不十分且つ不適切なものがひとつある。 異音が不十分な音素は/e/, /d/, /b/, /g/, /z/, /s/, /x/, /n/, /l/, /w/, /y/だ。/e/ は[e]と[E]だけでなく、[ae]をも異音に持っている。jelekやbrengsekの語を怒った語調で 発音してみれば[jelek][brengsek]となるだろうか?それとも[brengsae]だろうか?/ae/の 発音域は前部にあり、舌の位置は/E/と/a/の中間にある。怒っていないときにはもちろん、 これは滅多に起こらない。だからと言って、その音がないとは言えないのだ。たとえ怒っ ているときにだけ出現するとしても。 音素/d/は[d]のみならず[t]とも発音される。dariという語の/d/は[d]と発音されるが、 muridでは[t]になる。/b/も同様で[b]と[p]の異音を持っている。その証拠にsabtuは [sabtu]と発音されることがなく[saptu]と発音されている。 /g/, /z/, /s/, /x/, /n/, /l/, /w/, /y/も同様だ。それぞれがただひとつの音を持って いるのでなく、/g/には[g]と[k]の異音がある。guru, ajeg, bedugの実音は[guru], [ajek], [beduk]なのである。音素/z/は[z], [j], [s]の三つの異音がある。zat, izin, zaman, bazarの音は[zat], [ijin], [jaman], [basar]になっているし、音素/x/はakhir, khotbah が[axir], [kutbah]の音になっているように、[x]と[k]の異音を持っている。 異音が不適切な音素は/p/と/k/である。インドネシア語標準文法の編纂者は/p/の実音が[p] と[p']、/k/の実音が[k]と[k']、/t/の実音が[t]と[t']であると想定した(60ー61ペー ジ)。そこでは、[p'], [k'], [t']は音節末尾の位置に関連しており、[p']は上下の唇が、 [k']では後舌と軟口蓋が、[t']の場合は歯茎と舌先が、次の音の発声前の数舜間閉じられる ことを意味していると説明されている。 この説明は音声と異音の定義から既に逸脱している。音声とは具体的な種々の音を意味し ており、発音され、耳に聞こえる音がその定義である。また異音とはひとつの音素が発音 されたときに出現する種々のバリエーションを指している。 異音について語るとき、形態素との関連性にまで踏み込んで考える必要はない。編纂者は 音韻論上の理論を定めるのに音韻論と語形論を混用しているのが明白だ。[p']と[k']が異 音の中に登場したのは、音韻論と語形論が混用されたからである。音韻論上の理論を構築 するのであれば、われわれは音韻論だけをベースにしなければならない。[p'], [k'], [t']を異音とするのであれば、それらは[p], [k], [t]とは異なる発音域を持っていなけれ ばならない。言い換えるなら、[p], [k], [t]の異音として持ち出された[p'], [k'], [t'] というのは別個のものなのでなく、それゆえに別の音声と認めることができず、まして や異音の概念に入れることができない。 おまけに、編纂者があげた/t/の異音は不十分である。そこに挙げられた[t]と[t.]について は、[t]は舌端歯茎音で[t.]は舌端歯茎中間音であるが、それは述べられる単語に応じて出 現するものになっておらず、それを述べる人間の個性として出現しているものなのである。 インドネシア語標準文法(1997年)は改善されるべきものである。音素/e/, /d/, /b/, /g/, /z/, /s/, /x/, /n/, /l/, /w/, /y/の異音はインドネシア語音韻体系の現実に即して 完璧なものにしなければならない。[p'], [k'], [t']は異音の中に含めてはならない。そし て/t/の異音として舌端歯茎中間音の[t]を付け加えなければならない。