「ジャカルタで勝つには(前)」(2019年06月26日)

住宅地と大通りの接点やUターン路などで渋滞する車列に割り込ませてくれる自主奉仕交
通整理人は普通、パオガ(Pak Ogah)やポリシチュペ(Polisi Cepek)と呼ばれている。奉仕
と書いたのは、かれらが有料でそれを行っていないからだ。

インドネシア文化における謝意の表現は金銭原理になっており、かれらに割り込ませても
らった車の運転者は小銭を渡して謝意を表明するのが、インドネシアの社会生活における
礼節の表われになっているのである。金銭を期待していないと書けば嘘になるが、あくま
でも奉仕と感謝という善意のステージの上で行われているという形式が、そこに出現して
いる原理なのだ。

現実に、何台かに一台は知らん顔をして走り去っていく車があっても、パオガの表情に不
満や悔しさの陰など少しも浮かばないのがそれを証明しているようにわたしには思える。
その謝礼額が、昨今の相場は2千ルピアになっているそうで、こうなってくるとポリシノ
チェン(Polisi Noceng)と名前を変えなければリアリズムは維持できないだろう。ともあれ、
この仕事が儲かるのは明白であり、路上の混雑と渋滞が終日途絶えない場所では、かれら
はシフト制を使って交代で稼いでいる。


コラムニストのアグス・ヘルマワン氏は "Jakarta Tak Menarik Lagi"と題する2019年
6月16日付けコンパス紙のコラムに、次のように書いた。

ジャカルタでは、人差し指一本で生きていける。
「オレの人差し指はたいへんな神通力だ。指一本上げて指図すりゃあ、四輪も二輪もみん
なオレに従う。止まるも進むも、すべてオレの指先ひとつだ。」南ジャカルタのある住宅
地区の端っこの道路脇でひとりのパオガはそう語った。

「ジャカルタでは、望むなら何でもが金になる。」という言葉が昔から言われてきた。ジ
ャワ島の外で自転車旅行したとき、地元民がとてもフレンドリーで親切なことに筆者は驚
かされた。ところがかれらの兄弟たちがジャカルタで暮らすようになると、性格が180
度変わってしまう。ジャカルタで出会うかれらの兄弟たちはフレンドリーどころか、恐ろ
し気な印象だ。会社に雇用されて働いていない者の多くは、デットコレクターやボディガ
ード、あるいはプレマンなどになっている。[ 続く ]