「生き返ったスハルトのキャデラック(前)」(2019年07月29日) インドネシア共和国が独立を宣言し、その翌日にスカルノが共和国の初代大統領に就任し た。大統領公用車の第一代目になったのは1938年製のビュイック8限定仕様車で、こ の車は日本軍ジャワ軍政監部統治組織内のひとつ交通部の部長が使っていたものを青年民 族運動家のひとりスディロが取り上げて、プガンサアンティムール通り56番地のスカル ノの家に送り込んだものだそうだ。 スカルノはその車を1949年まで使い、キャデラック48特別仕様車にバトンタッチし た。この車種は1948〜49の二年間のみ製造されたという。オランダからの完全独立 を勝ち得た共和国が、それまで唯一の頼みの綱だった日本軍の遺産にしがみつく必要のな くなった時代の息吹を反映するシーンのひとつという見方は、うがちすぎだろうか? しかし、独立宣言を覆そうとして力による抑え込みにかかったオランダ領東インド植民地 文民政府の軍事行動に真っ向から対決して共和国の苦難の時期を乗り越えるべき指導した 大統領が国民の前にわが身を表すとき、その多くのシーンにこのビュイック8が登場した のである。 民族独立への精神価値の偉大さがこの車に滲みついていると感じるインドネシア大衆の感 情は、この車を特別扱いするのに十分な理由をもたらしたにちがいない。1979年8月、 この歴史的意味を持つビュイック8はジャカルタのグドゥンジュアン45に歴史遺産コレ クションとして寄贈され、博物館内に展示されている。 スカルノ公用車の最後の車種は1964年製キャデラックフリートウッド75で、スカル ノが失墜してスハルト政権がとって替わると、大統領公用車はそのまま引き継がれた。 スハルトはそれを1971年製のより大きい排気量エンジンを搭載した同型車種に取り替 え、スカルノ名残りの車は国家官房が1975年に競売にかけて払い下げた。落札したの はプロボステジョ氏で、その後人手から人手へ転々とし、最終的にクラシックカー愛好家 のガレージに落ち着いているらしい。 大統領公用車倉庫の奥で14年間眠っていた1980年製キャデラックフリートウッドブ ロアムが眠りを覚ました。故障が起こったためにお蔵入りされていたものを、大統領官房 技術者が息の吹きかえしに挑戦したのだ。[ 続く ]