「ラディカリズム」(2019年07月29日)

ライター: インドネシア大学文化学部教官、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2012年10月12日付けコンパス紙 "Radikal(-isme)"

ついこの前、ジャカルタの国民決起博物館でインディッシュパルタイIndische Partij発
足百年を記念するセミナーが開かれた。後にスティアブディSetiabudiと改名したインド
ヨーロピアン混血者エルネスト・ドゥエス ・デッケルErnest Douwes Dekkerの推進した
インディッシュパルタイ(東インド党)は植民地下に誕生したはじめての政党だった。公
式承認は1912年9月6日となっている。

民族運動の側面から見るなら、インディッシュパルタイの重要な意味はインドネシア独立
を要求する強硬姿勢にあった。当時の穏やかな倫理政策の中にあった植民地政府はインデ
ィッシュパルタイをラディカル組織と非難した。メインストリームにそぐわない強硬政治
路線だということを、ラディカルというラベルが示している。

1986年の博士論文「イスラムと共産主義:ジャワの大衆運動の解明」の中で白石隆は、
インディッシュパルタイの要人たちの語調が聴衆の心理を揺さぶるものである点に着目し
ている。たとえばドゥエス・デッケルは「政党結成は戦鼓である」と声高らかに叫んだ。

かれはその言葉の中に、「暗黒を払う光明、悪に対抗する善、圧制に反対する文明、租税
を搾取する植民地国家に抵抗する納税奴隷」という意味を含めたのである。公開会議にし
ばしばシンパの群れが引き寄せられることがあったにせよ、そのラディカル性はかれらの
先進的思想内容にあったものなのであり、アナーキーな大衆動員のゆえではない。

ラディカルの語はコンサイスオックスフォード辞典によれば、文字通りには「根」「源泉」
「由緒」を意味するラテン語のradixに由来している。それが拡大されて、ラディカルはさ
まざまな現象の基本的・中心的・エッセンシャルなことがらを指すようになった。幅広い
ニュアンスのためにこの語は植物学・数学・哲学や音楽に至る種々の学術分野でテクニカ
ルな述語として使われるようになる。たとえば植物学では、「根」を意味する本来的な語
義が使われて、植物の形態部分の名称に出現する。数学では「根基=ラジカル」となって
登場する。

19世紀初めのイギリスでラディカルズの語は、労働界や産業資本家の新進リーダーたち
の中の、議会はまだ自分の思想を認識していないと感じているひとびとを指して使われた。

かれらは常に根本を目指す思考態度を取り、「人間自身にとっての心理と自然さそのもの」
を基盤に据えて、法・正義・行政に対する全面的再構築を求めた。かれらはまた反教権主
義であり、教会・貴族制度・地主を憎んだ。フランスでは、ラディカル派はジャコバン党
の精神を受け継ぐ戦闘的共和主義者で、インテリ・労働者・退役軍人および革命を誇りに
する子孫たちのグループが発端だった。

これまでラディカリズム信奉者は強硬左翼マルキシストグループに関連付けられてきた。
ところがラディカルという術語は、宗教運動や戦時のファシズムにある右翼ラディカルと
いう句に見られるように、多義性を持っている。1950年代の米国では、甚だしい反共
主義で民主党の政策にことごとく反対する共和党保守派孤立主義グループを指して右翼ラ
ディカルの語が使われた。要するに、ラディカルあるいはラディカリズムの語は、中庸的
在来的でないエクストリームなイメージの政治スタイルで、時にはリーガルの枠外という
意味を含む思想用語として使われているのである。

最新版ではクントロ・マンクスブロトの「ジャカルタの交通渋滞克服にラディカルなステ
ップが必要だ。」という発言がある。この場合のラディカルの意味は、「ありきたりでな
い方法」「ブレークスルー」ということだ。つまり方法論的に「通常のやり方から外れた」
あるいは「非民主主義的な」ことがらが意図されている。大統領直属の開発監督統制担当
作業グループリーダーの言葉を敷衍してよければ、われわれにはもちろん、交通以外のさ
まざまな渋滞を突破するために方法論としてのラディカリズムは必要なものなのである。