「黄輔記は客家食堂の草分け」(2019年08月01日)

ジャカルタコタの中華街中心地区であるトコティガToko Tiga通りはその昔、華人大金持
ちの筆頭で、金にあかせて悪行の限りを尽くしたウイ・タンバッシアの父親が本拠の店を
置いたエリアだ。不肖の息子で希代の色事師ウイ・タンバッシアが排泄の後に紙幣で尻を
拭いて近辺に投げ捨てたのは多分トコティガ通りの南を流れるクルクッKrukut川だったの
ではあるまいか。貧民たちがその紙幣の争奪戦を毎日展開したという話になっている。

トコティガ通りを西行すると、北から二本の並行道路が突き当たって来る三叉路がある。
それが東プルニアガアンPerniagaan Timur通りだ。東プルニアガアン通りの西側に広がる
ゴミゴミした住宅地区の真っただ中に、ジャカルタでだれもが太鼓判を捺す客家レストラ
ン「黄輔記」Wong Fu Kieがある。いや、これはレストランと呼ぶよりも、庶民向けの食
堂そのものだ。シンガポールのダウンタウンで一般的な、長屋型の商店コンプレックスの
中に入っている中華食堂のあの雰囲気である。

奇しくも、ウイ・タンバッシアのウイ姓も「黄」の文字が使われる。つまり普通話で「黄」
という漢字の読み方はフアンになっているが、広東や客家ではウォンとなり、福建ではウ
イやンNgとなるという違いが存在しているようだ。


店の住所はJl. Perniagaan Timur II No. 22, Toko Tiga, Jakarta Baratとなっているも
のもあれば、Jl. Perniagaan Timur II No. 22 (Pasar Pagi Lama) Jakarta Baratとなっ
ているものもある。営業時間は8時から17時までなので、夕食を摂るならお早めに。

東プルニアガアン通りのBCA銀行に近い、狭い路地を入って22番地を探さなければな
らない。案内看板などまったく出ておらず、店の前にきてはじめて「黄輔記」の看板を見
出すことになるという話だったが、今は路地の入り口に名前が出されているそうだから、
安心して路地に入れるというものだ。店に近付けば、言うまでもなく客家料理特有のニン
ニクの香りが周辺に漂っているから、眼よりも鼻を使うほうが発見は早いかもしれない。

この店は1925年にオープンした。最初は路面電車が走る表通りに店開きしていたが、
1970年代に現在の場所に移転したそうだ。ところが常連客が味を慕ってみんなここま
で来たと言う。現在の店主は三代目で、祖父の味を守り続けている。祖父の代のメニュー
は数えるほどでやっていたが、今ではメニューにびっしりと品目が並んでいる。

ジャカルタで客家料理が愉しめるのである。やはりジャカルタは食道楽の天国であるにち
がいない。